「自分にとっての金光大神様」がいることが大切

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

平戸教会の初代先生は、「平戸島に、金光大神の道を」と願われ、小舟に乗り櫓を漕いで、人里離れたこの平戸島の地を開拓し、教会を建立されました。

そしてこの平戸の地を基に、教線は、遠く度島、大島、生月島、小値賀島方面にも広がっていき、多くの氏子を救い助けられました。
  
   
そんな平戸教会の初代先生も、最初はひとりの「難儀を抱えた氏子」でした。ひとりの氏子として、佐世保教会のお広前にお参りし、信心の師匠となる高崎虎吉先生にお取次を頂いて、そして神様に助けられました。
    
そして、
神様のありがたさ、
お取次のありがたさ、
このお道の信心のありがたさを知り、
伝えずにはおれなくなったのです。

布教当日、「恩師お守りあれ」という言葉を残され、平戸島に向かわれました。    

佐世保教会の高崎虎吉先生は、「平戸教会の初代先生にとっての金光大神様」でありました。  
   
この「自分にとっての金光大神様」がいるかどうか、
それは、私たち信奉者が、神様のおかげをいただく上で、ものすごく大きいことなのだと思います。金光大神様の手続きでもって、神様につながりやすく、神様とより深く繋がれるのだと思います。
    

          
私は高校生の時、重度の摂食障害を抱え、誰からも理解されず、ついに病院からも見放された私は、絶望的な孤独へと追い詰められていきました。
    
朝、目が覚める度に目の前が八方塞がりである事に気づき、今日をどうやって生きていけばいいのか分からず絶望していました。
     
そんなある日、私は「神様にすがるしかない」と思いました。
「これだ!」と自分のたましいが叫んだような感じでした。
それまで、実家が金光教の教会でしたが、まさか「神様が助けてくれる」なんて思ってもいなかったので、神様に手を合わせはしても、おすがりしたことは一度もございませんでした。
   
     
私は思い切って高校を休学し、金光町に引っ越し、毎日教祖奥城で「生神金光大神様」におすがりしました。
周りに人がいても、構わずに大きな声で「助けてください」と必死でおすがりしました。
     
しかし、苦しみは大きくなるばかりでした。
一ヶ月続けても、半年続けても、一年続けても、苦しみはただただ大きくなるばかりでした。やがて摂食障害の症状はひどくなり、身体を壊し、金光町のマンションを引き払いました。
     
「やっぱり神様は助けてはくれなかった・・・」
    
期待していた分、ただただ神様が分からず絶望していました。
    

    
しかし神様は、この時の祈りを決して無駄事にはなさりませんでした。
翌年、私はひとりの難儀な氏子として、神様のお広前にお引き寄せいただいたのです。そう、ちょうど平戸教会の初代先生のように。
     
    
私がお引き寄せいただいた、そのお広前こそが、私の信心の師匠である津田昇平先生が守っておられる尼崎教会のお広前でした。
     
神様は、毎日教祖奥城で生神金光大神様におすがりしていた私の祈りを聞き届けてくださり、「私にとっての金光大神様」を差し向けてくださったのです。
    
    
尼崎教会初参拝のあの日。
初めてお会いした先生は、私の苦しい気持ちを親身に聴いてくださり、優しいお顔でにっこりと笑い、このように仰いました。
    
    
「ようもようも生きて、ここにたどり着いてきたなぁ。それが何より先生はうれしいわ」
「もうここからはひとりやないからなぁ。先生もついてるからなぁ」
「ここからは一緒に信心して、一緒に神様のおかげをいただいていこうなぁ」
    
   
こんな私に手を差し伸べてくれる人が、まさかこの世にいるとは思いもしませんでした。私は夢でも見ているような、でも信じてみたいような、そんな探るような視線で先生をじっと見ていました。
それが15年前の春、信心の師匠との出会いであり、はじめて「私は助かるかもしれない」という期待が胸をよぎった日でございました。
     
     
それから私は、
お取次をいただいて、
信心を教えていただき、
神様に助けられました。
     
そして、
     
神様のありがたさ、
お取次のありがたさ、
このお道の信心のありがたさを知り、
伝えずにはおれなくなりました。
     
     
天地金乃神様、生神金光大神様、そして私を取り次ぎ助けてくださった「私にとっての金光大神様」である尼崎教会の先生、津田昇平先生。
      
私は神様と先生の御名を、どこまでも誇りに思います。
なんと言いますか、目頭が熱くなり、なんとも言えない幸せな気持ちが胸にこみ上げてくるのです。
それは、
先生が現し続けてくださった「神様のご愛情」がしっかりとこの命に刻み込まれているからだと思います。

 

 

「佳世先生はどうやって助かったんですか?」と多くの氏子が私に聴いてくれます。     
私が助かった理由はただ一つでございます。
毎日お取次を頂き、信心の仕方を教えていただき、苦しかった生き方を根っこから変えていただいたからなのです。
       
今度は私が、どこまでも人が助かる生き方、天地の道理にそった生き方をお結界で説いて伝えられる教師になりたいと願っております。
     
神様に、生神金光大神様に、私にとっての金光大神様に喜んでいただけるような生き方をさせていただきたい。
それこそが、このお道のお取次で命を助けていただいた私の使命なのだと思いながら、今日も夜が更けていくのでありました(*^^*)
     
       
(※お写真は平戸教会の初代細川房一(ふさいち)先生のご祈念のお姿でございます。厳格な先生でこわかったと伝え残されております。人を助けるために、難儀と闘い続けておられたのだろうと思い、その強さ、神様への一途さにただただ胸が熱くなります)
     


金光教平戸教会 細川佳世

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