信心のお稽古は嘘をつきません 〜愛情を受け取る勇気〜

みなさまこんにちは。細川佳世です。
   
お取次では、神様のご慈愛、ご愛情を頂くことができます。しかし私は、「愛情を受け取る」ということがとても怖かったのです。あの頃の私は、命の恩人である先生に、どれだけお取次を頂いても、どれだけお取次で話を聴いていただいても、どれだけホッとするお言葉を頂いても、ありがたい気持ちになるのはその場かぎり。
教会から家に帰ると、また心は寂しくなって、虚しくなって、苦しくなって、そして、自分の中のしんどい気持ちが、わあっと溢れ出てきて、涙が流れるのです。
         
「やっぱり私みたいな人間が愛されるはずがない」
「きっと先生は、”愛情の演技”をしてるんだ!」
「先生は教師だから、人助けが使命だから、だから私のことが嫌いでも、使命感で私を助けてくれるんだ!」
       
そういう疑いの心でいっぱいになり、苦しくって、苦しくって、行き場を失い、過食嘔吐に走っていました。愛情を受け取ることは、私にとって恐怖でしかありませんでした。もし油断して愛情を受け取ってしまったら・・・ギリギリの所で踏ん張って、一人で生きてきた自分が、ガラガラと崩れてしまうと思っていました。それにもし「私は愛されている」なんて思い込んでしまったら、先生から”勘違いちゃん”だと心で笑われるんじゃないか、そして私はまたひとりぼっちになるんだという恐ろしさを感じていましたし。
    
でも、そんな自分の生き方、考え方は、間違っていることも分かっていました。だって、私が正しいのであれば、過食嘔吐なんてしなくていいし、こんなに寂しいはずがないし、こんなに苦しいはずがないし・・・だから、私が間違っていることは分かっていました。「本当は、この世界にはきっと、私が見たことない愛に満たされた世界が、キラキラした世界があるんだ、そこに私も居ていいんだ」と、心の奥底で信じていました。だから今の自分を変えたくて、生まれ変わりたくて、毎日必死でお参りして、お取次を頂き、先生が教えてくださることに一生懸命に取り組ませていただきました。
  
信心というのは、実践が必ず伴うお稽古事です。
できないからこそ、できるようにと。できるようになりたいと、怖さをかなぐり捨てて、信心のお稽古をさせていただくのでございます。
   
   

  
  
ある日私は、怖さをかなぐり捨てて、お取次の最中に先生の本心を確かめたくなり、先生の袖にしがみつく勢いでこう言いました。
      
「先生、もし私が死んだら、先生に迷惑をかけますよね?」
     
「だって先生は教師だから、難儀な氏子を助けられなかったことが悔しいですよね?御用成就しなかったことが恥ずかしいですよね?」
     
私は、私のことを必死で助けてくれている先生に対して、ひどいことを言っていると頭では分かっていました。でも、先生の愛情を試すことしか出来なかったのです。ついに先生にがっかりされたんじゃないかとビクビクしていました。ところが先生はがっかりするどころか、とても優しいお顔で、このようにお取次くださいました。
   
「そんな事ないで」
      
先生は続けて、私に優しく教え諭すように、にっこりとお笑いになりこうおっしゃいました。
    
「佳世さんが、たとえ今日死んでしまっても、先生は佳世さんのここまでの人生を誇りに思っているよ。佳世さんの頑張りを、誇りに思ってるよ」
       
先生の優しい目には、薄っすらと涙が浮かんでいるように見えました。その時私は、お取次を頂いてきたこれまでの日々が思い起こされてきて、涙が流れていました。どれだけ愛情を拒否しても、私の”たましい”が、先生の愛情を受け取らずにはいられなかったのです。
  
先生は、教師だから私を助けようとしているのではなかった。
使命感で、私を助けようとしていたのではなかった。
ただただ私の事が大切で、幸せになって欲しいだけだった。
そう悟らせていただいたのでございます。

今の私は、神様の愛情を心から信じています。
その神様の愛情を現してくださったのは、先生という人間です。
先生がいなければ、神様に出会うこともなかったし、神様の愛情に触れることもありませんでした。
  
  
◯   
    
   
自分の中のしんどい気持ちが、わあっと溢れ出てきた時、逃げずに向き合っていくことが大切です。神様を現してくださる人、つまり、お取次をしてくださる先生に向き合っていくのです。
     
先生にどう思われるかな・・・引かれないかな・・・怒られないかな・・・そんな不安や、恐怖を貫いて、突き進んで、逃げずに先生に向き合っていくこと。お参りして、お取次を頂いて、苦しい気持ちを聴いてもらって、先生の話を聴かせていただいて、自分の心のあり方を見つめ、そして、どういう生き方をすれば助かるのか教えていただいて、教えてくださることに一生懸命に取り組んでいくこと。そうやって、少しずつ少しずつ、「ああ、神様も、先生も、私のことを大切に思ってくれてるんだ」ということを悟らせていただくのです。
    
そうやって本気で信心をさせていただいたら、必ず幸せになれますし、たくさんのおかげを頂けますよ。信心のお稽古は嘘をつきませんからね(#^.^#)お稽古した分だけおかげになっていきます。
     
明日も1日、神様のお広前であなたの参拝をお待ちしております。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

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