取次師。それは「命を受け止めてくれる人」でした     

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

私は、日々お参りされる方の「お取次」をさせていただいております。この「お取次」で一体何を取り次がせていただいているのかと言いますと、一言で申しますと「神様のご愛情」を取り次がせていただいております。
 
神様のご愛情って  
それは「ありのまま」を受け止め「ありのまま」を慈しんでくださる愛情でございます。

 

 

私は過去、家族のこと、学校のこと、友だちのこと、恋人のこと、いろいろな苦しい問題が積み重なって心が追いつめられていきました。
  
苦しい!死にたい!誰か助けて!
   
周りの方は「世の中には、もっと不幸な人がいるのだから」って声をかけてくれました。しかし私は人の不幸で自分を癒やすことはできませんでした。
   
「落ちるとこまで落ちたら、あとは上がるだけ」って声をかけてくれ方もいらっしゃいました。しかし私が落ちてしまったところは底なし沼であり、ただただ狂気の世界に引きずり込まれていくばかりでした。
   
誰か聴いて・・・誰か助けて・・・心の病を抱え狂っていく自分。そして変わらない現状にただただ絶望し、生きる希望を失っていきました。

 

 

そんな私は、お取次をいただくことによって救われていくのです。
 
取次師。それは「命を受け止めてくれる人」でした。 
   
「苦しい」と言えば「苦しかったんだね」と聴いてくれる。
「辛い」と言えば「辛かったんだね」と寄り添ってくれる。
「助けて」と叫べば「助けてやる」と助けてくれる。
「死にたい」と泣けば、その痛みを一緒に感じてくれる。
   
こうして受け止めてもらえる場所を見つけた私は、少しずつ心の闇を、狂気の世界を、お取次の中でさらけ出していくのです。
ありのあままの姿をさらけ出すことは、とてもエネルギーがいることであり”命がけ”でないとできないことでした。
また、受け止める側も同じく”命がけ”でないとできないことであります。

しかし「命を受け止めてくれる人」がいたことで、消えかけていた私の命は、再び息を吹き返していくのです。
私は取次師を通して、神様の愛を知り、救われていったのです。

 

 

その命の恩人である取次師の背中を追いかけ、私も去年、取次師にお取り立ていただきました。

ここお教会は、死にたいほどの苦しみを抱えた方が、いつでも泣ける場所でございます。

お教会では、たくさん泣いたらいいのです。
いっぱい叫んで泣いたらいいのです。
“苦しみ”は、氷のかたまりのようなもので、本当の愛を知れば必ず溶かされ、癒やされていくのです。

私が助かったのだから、必ずあなたも助かると信じ、日々目の前の氏子を救い助けたいと願い、お取次のご用にお使いいただいております。

神様、金光大神様、今日も一日ありがとうございました

金光教平戸教会 細川佳世

 

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