みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
本日は平戸教会で吉備舞(きびまい)の指導をさせていただきました。吉備舞とは、神様のお供えさせていただく奉納舞(ほうのうまい)のことをいいます。
こちらの舞人。去る春のご大祭で吉備舞を奉納された後、「神様が喜んでくださった」と涙を流されたのです。
舞人のその言葉を聴かせていただき、私は胸に熱いものが込み上げてまいりました。その涙は、真の信心の賜物だと思わされます。
ただただ、神様に喜んでいただきたいという一心で、お稽古に向かわれる健気なお姿に、私も感化され、真剣に指導をさせていただいております。
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次のご祭典には、続けて同じ曲を奉納させていただくこととし、本日は同じ曲を改めてお稽古し直させていただきました。
次は新しい曲を…といきたいところですが、同じ曲をお稽古するには理由があります。それは、より一層、神様に心を向けるため。より一層、お礼の気持ちを神様にあらわすためです。
同じ曲、同じ振りであっても、お稽古を繰り返せば、繰り返すほどに、磨きがかかり、見違えるほどに光り輝きます。
特に、歩く、座る、立つ、という基本動作のお稽古は、しつこいくらいに毎回繰り返します。すると、舞が一層美しく輝き出します。
同じ曲をお稽古することで、どうすれば、より美しくなるか?どうすれば、より神様にお礼の気持ちがあらわせるようになるのか?
より深い問いを、舞人自身に投げかけることになり、自然に心が神様に向いていかれていることを実感しております。
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私は幼いころから吉備舞のお稽古を続けさせていただいてまいりました。きっかけは、姉の奉納舞を見て「私も神様に見ていただきたい!」という気持ちからでした。
そして、春と秋のご大祭ごとに、次々と新しい曲をお稽古し、神様に奉納させていただいておりました。
しかし、私の心は、だんだん神様から人に向いていきました。父や母、祖母、親戚の人に、新しい曲や難しい曲を見てもらえることが楽しみになっていったのです。「お母さん、すごいでしょ!お父さん、がんばったでしょ!おばあちゃん、上手でしょ!」
その頃の私は「神様に見ていただいて嬉しかった」という一番最初の感動は、どこかに消えてしまっていたのです。
そして、大学生になり、実家の教会を離れたことで、自然と吉備舞とも離れていき、神様とも離れていきました。
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ところが、尊きご神縁をいただき、信心の師匠に出会わせていただき、信心しておかげをいただいていく中で不思議と、「吉備舞を神様に見ていただいて嬉しかった」という感動が思い起こされてまいりました。
それから再び、吉備舞のお稽古をさせていただくようになったのです。そして、「神様に見ていただきたい!」という初心を忘れず、今日まで指導のお役をいただいていることは本当にありがたいことだなあと思わされております。
本日は、舞人が「神様が喜んでくださった」と涙を流された時の感動をこの先もずっと忘れないでいてほしい。そう願いながらお稽古をさせていただきました。
そして、「同じ曲を、心を込めて舞わせていただくことの大切さ」を何度も何度もお伝えさせていただき、無事にお稽古を終えさせていただきました。とてもありがたい幸せな時間でした。ここからも舞人と共に、信心のお育てをいただきたいと願っております。神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
引き続き執筆させていただく励みになります
YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。
佳世先生、
吉備舞のご指導の御用、誠にありがとうございます????
典楽や吉備舞は油断するとすぐに人に心が向いてしまいますが、
神様へのお供えとしてご信心をお教えくださることが、本当に有り難いです。
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真之先生、日々御神勤くださり誠にありがとうございます。そのように仰ってくださり勿体無いです。ありがとうございます。
私がおかげを頂いてきたことの、せめてもの御礼として、神様、金光大神様への御礼として、自分にできることを精一杯させていただきたいと願っておりますが、どれだけさせていただいても、私が頂いてきたおかげの万分の一にも満たないことを感じております(๑╹ω╹๑ )どうぞここからもよろしくお願い申し上げます。細川佳世
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「神様が喜んで下さった」と涙される小学校の低学年かなと思われるこの氏子さん。
このまま神様一直線で成長されますように。(^人^)
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