本当の自分を見つけていただき、愛すること【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

私はなぜ「本当の自分」を隠し、人に合わせて生きるようになってしまったのだろうか。本日はそのきっかけとなったある出来事を綴らせていただきます。
     
私は幼稚園の頃から内気でおとなしい性格でした(^^)
幼稚園の教室の中には、友達同士でダンスを踊ったり、歌を歌ったりしている子もいましたが、私はいつも部屋の隅っこで一人で折り紙で遊んでいました。
特に折り紙を細く切って、輪っかで鎖を作るのが好きで、その時間をとても楽しみにしていました。
一人で遊ぶこをと、寂しいとは思っていなかったし、折り紙の輪っかが、どんどん長くなっていくのを見るのが嬉しかったのです。
   
けれど、幼稚園の先生も、私の母も、私がおとなしくて、友達がいないことを心配するようになりました。どことなく、「私はこのままでは母に喜んでもらえないのだ、変わらなくちゃ」と感じていました。
  
  

  
   
「もっと積極的に、自分の意見を言っていかないといけないよ(^^)」
     
そう母から言われたのは、小学校の二年生の時でした。
学校の先生と、母との二者面談の直後に言われた言葉でしたので、きっと学校の先生が、私の消極的な面を指摘し、母に伝えたのだと感じ取りました。
 
  
私は当時、学校に友達がいなかった記憶がありますが、一人だけ居心地がいいなあと思える子がいました。私と同じように、おとなしい女の子で、その子と居る時は何も話さなくても私は笑っていたことを覚えています。
よく学校正門前の桜の下で、風が吹くたびに花びらを帽子で受けとめ、その子と一緒に花びらを集めていたことを思い出します
  
  
私はけして、学校の先生や母が言うように、消極的ではなかったし、やりたいことも、好きなことも、自分の意見もありました。
何も考えていないわけではなく、ぼーとしているわけでもなく、考えていることはあっても、それを、みんなの前で言葉で表現することが少し苦手なだけだったのです。
   
  
◯ 
   

「もっと積極的に、自分の意見を言っていかないといけないよ!」
     
周りからそう言われるようになってから、私は「本当の自分」を否定するようになりました。
これまでは授業中、答えが分かっていても手を挙げない性格でしたが、積極的に手を挙げるようになりました。
それが私にとって苦痛だったのです。
本当の自分とは違う、誰かに手を挙げさせられているような感覚で、まるで操り人形のように感じていました。
  
特に参観日は、学校の先生と、母が、私がいつ手を挙げるのかを楽しみにしているように見えるのです。
  
「さあ、早く、積極的になって、手を挙げて、意見を言って」
    
そんなプレッシャーを背後に感じ、断崖絶壁に立たされた思いの中、授業中に思い切って手を挙げていたことを思い出します。

手を挙げたからといって、自分に自信が持てることも無かったですし、何か得したこともありませんでした。
子どもだった私は、「本当の自分」を否定するようになり、
“自分は自分でいい”という安心感のないまま、いつも「自分は大人しいからダメなんだ」という気持ちを抱えていたように思います。
  
  

  
  
中学生になった頃には、おとなしい自分は封印され、「積極的な自分」が出来上がっていました。
一人で遊ぶことより、友達と遊ぶことを選ぶように心がけ、みんなの前で積極的に発言をするように心がけ、自然と周りに明るい子が集まってくるようになりました。
    
でも心の中はいつも虚しかったのです。
誰にも「本当の自分」を知ってもらえず、寂しく、無理して明るく振舞うことで心が疲れ、結果として心の病の苦しみへと繋がっていったのです。
  
 

  
  
摂食障害、鬱、対人恐怖などの心の病を抱え、救いを求めて先生のお取次をいただくようになった時のことでした。
先生は私にこうおっしゃいました。
 
「こんな佳世さんでなければならない、ということは何一つありません。どんな佳世さんでもいいのです。どんな佳世さんでも、神様と先生にとっては可愛い娘なんです。それは一生変わりません。神様も先生もけしてあなたを傷つけたりはしません。信じてくれると嬉しいです(^^)」
   
私は先生を信じたくて、封印していた過去の自分を、一つ一つさらけ出していくようになりました。
   
また否定されるのではないか?
こんな自分、嫌われるのではないか?
疑いの気持ちに襲われ、自分の中の相反する二人が葛藤し、もがき苦しみながらも、そこを避けていてはもっと苦しいばかりだったので信じて飛び込んでいきました。
   
信じていこうとする時の痛みと引き換えに、自分をさらけ出せた分だけ、心を楽にしていただけました。
言いづらいことほど、言えた時、なんとも言えない安心感に包まれました。
    
それを繰り返して行く中で、だんだん言動も落ち着いていき、人と無理してつき合ったり、合わせて笑ったり、作ったりすることも無くなっていったのです。
先生が、神様の手となり足となり、どんな自分であっても、受け入れてくれださったおかげなのです。
  
  
「本当の自分」を見つけていただき、ありのままの自分を受け入れて生きていくことは、心の健康にとってとても大切なことだと思います。
もし「本当の自分」が分からなくなった時は、けしてお一人で抱えず、神様のお広前にご参拝ください(#^.^#)
神様は「本当の自分」を見つけてくださり、丸ごと抱きかかえてくださり、愛してくださいます。「こうでないといけない」ということはけしてありません。それは、お広前を守らせていただいている私も同じ気持ちなのです。お広前でお待ちしております★
             
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
(※お写真は平戸教会前の景色です)

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石原香

こんにちは
佳世先生 わたしも、人の目をかなり気にする自分にある時期からなっていました。
明るく朗らかな自分。イオンのお仕事で仕事が出来る自分。また、絵の方では自分の描きたい絵がなかなか描けなかったり一日中ずっと描いていて、精神的にとても疲れたことを思い出します。
何か高い目標を立てると、真っ直ぐにそれに打ち込み、結果を出そうと努力しすぎて 心が疲れてしまう。
そして、人から頼まれたら嫌と言えなかったり。
いたくもない実家を守らないとならなかったり、したくもない、お客様の対応を無理してしないとならなかったり、弟や母の介護に加えて、旦那の両親の世話、二件の家の管理に手が回らなかったり、自分の中の疲れがピークになり、もうなんでもいいやと、甘いものとコーヒー。
そんな生活でした。
やっぱり無理してきた、生活からの病だと思います。ストレスが相当溜まったのだと思います。
さみしさ から、過食はおきます。
それは、本当にそうだなあと思います。話し相手のいない、実家では不安ばかり襲うのです。
自分を主張しないというか、もちろん思いやりからの過食みたいなところもあった、広島旅行。
苦しくて過食しないとお通じが出なくなった様に感じている毎日は、苦しみの連続。
とてもとても辛いです。
わたしの命が続いていて、生きていることが不思議なような今なのに、良く東京まで美術館巡りしたり、上高地に行ったり出来るなあと思います。 生きている間にやりたいことをしたいという、わたしの願いなんです。ありのままのわたしで、愛されること、それはわたしが、いつも、明るくしていないとならないということではないです。
サービス精神はあるわたしは、人前ではいつも、相手を楽しませるように気をつかいます。
いつか、人といると緊張してしまう自分になり、一人が好きになってしまい。
でも、一人暮らしはさみしすぎる。
矛盾だらけのわたし。居場所を探しイオンに居場所を求め、ヨーカ堂で時間を潰し、不安ばかり募る毎日に
これは、心の疲れからの病だと思ってます。
明日の仕事が終わると、7.8日は上高地にスケッチ会。
予定を組みすぎてないか、休みをちゃんととれているのか?
それが、わたしのいつも、バタバタと生活してきた、習慣からの病だからこそ、見直していきたいところなのです。
生き急ぐかのように、ハードな生活をしてきたいままで。
だけど、生活習慣は変わらずとも、時折感じる楽しい時間。
生きていることは、決して辛いことばかりではないはずの。
わたしの、いままでの辛さをこのように、佳世先生や貴子先生に聞いていただきながら、病と向き合っていきます。
いつも、お祈りありがとうございます。
石原香

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細川 佳世

香さん(o^^o)こんにちは。日々のメールでのお届け、ありがたく拝読させていただいております。絵も毎回素敵で見とれております。
また、こちらのFacebookででもお話を聴かせてくださり、これまでより深く、香さんのこと分からせていただけて、とてもありがたいです。
神様は昔からずっとずっと香さんを助けたいと願っておられました。それが叶い佳世先生とつながり、今ではお参りさせていただける飯田教会と貴子先生をお授けくださっておられますね。こうして神様のご加護を受けてくださるので、神様も安心されておられます。
ですので、香さんが頑張らないといけないのは、お仕事や絵ではなくて、たましいの親に”甘えていくこと”です。
香さんが大好きな、絵を書くということ。好きなことを頑張り過ぎて疲れてしまったら、勿体無いですものね。
ですので、香さんは、もっともっとたましいの親に甘えて頼って生きていくことを頑張らないといけないのです。
ついつい遠慮したりしていませんか?遠慮はいりませんよ。香さんの素直な気持ちを聴いていただきながら、理解してもらいながら、ここからも一緒に病と向き合いながら、生きていきましょうね。御祈念しております★細川佳世

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