私の喜び。神様の喜び。【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

明日11/1は平戸教会におかれます月例祭をお仕えさせていただきます。

今月も神様に命をお守りいただきました。初参拝の氏子との出会いもございました。いつ死んでしまってもおかしくない、もう無かったであろう氏子の命もお守りいただきました。また月参拝を目標とされている氏子らも無事に参拝が叶いました。

神様にお礼を申し上げながら月例祭の準備をさせていただいておりますと、お一人お一人のお顔が目の前に浮かんでまいりました。泣いているお顔や、笑っているお顔や、怒っているお顔。どの子も可愛くて、愛しくて、仕方がありません。
     


氏子は命がけで今を生きています。だから、平戸教会に参拝された折には、肩の力を抜いて、ほっとしてもらいたい。氏子の居場所になってほしいと切に願っております。
参ってくる氏子に、私は「おかえりなさい」と祈り、そして「いってらっしゃい」と祈らせていただいております。ただただ、一生懸命に参ってくる氏子の命を、喜んで迎え、喜んで見送らせていただきたい。それが私の喜びであり、使命のように感じております。
            
   
「わが子のかわいさを知って、神が人間をお守りくださることを悟れよ」
   
             
という御教えがございます。私はこの御教えが大好きです。私にとって氏子は紛れもなく「わが子」そのものです。泣いていると、変わってあげたいと思い、怒っていると、背中を撫でてあげたくなり、笑っていると、抱きしめてあげたくなります。とにかくかわいいのです。こうしてお結界で氏子と一緒に時間と空間を共有することで、私の命はポカポカと温まっていきます。それはまさに、私の命が、神様のご愛情の一端に触れた瞬間なのでございます。
    


        

お結界の机には、私の命を助けてくださった信心の師匠のお写真がございます。私がしていただいたことを、どうぞ氏子にさせてくださいと祈りながら、間違いがないようにと願いながら、日々氏子の参拝を待たせていただいております。
     
明日の月例祭では、私たちをいつも愛してくださり、守ってくださる神様、金光大神様に、精一杯の御礼を申し上げさせていただきたいと思っております。そして11月も、神様に喜んで頂けるように、本当に人が助かるお取次の御用をさせていただけるように、氏子と共に信心の成長を求めさせていただきたいと願っております。

神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

 

 

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