みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
私はずっと、幸せになることを怖いと思っていました。幸せになったら、誰も私のことなんて見てくれない・・・そんな感覚を無意識にずっと抱いていたのです。
その心の奥にあったのは、自信の無さでした。
不幸で、苦しんでいるうちは、「かわいそうに」と見てもらえる。けれども、もし、幸せになったら?
今私の周りにいるみんなは、私から離れていくと思っていました。そのくらい、あるがままの自分に、何一つ自信がなかったのです。
そんな私の居場所は、不幸で、真っ暗な世界でした。そこにしか自分の居場所は無いと思っていました。
思えば、世の中で悲しい事件が起こる度に、私はいつも加害者側の立場に立っていました。そうせざるをえなかった苦しみに共感し、そんな不幸な人と繋がっている安心感があったのです。「分かるきがする・・・」「ああ、これは自分だったかもしれない・・・」
だから私は、自分の不幸を嘆きつつ、不幸に安心していました。裏を返せば、ひとりぼっちになりたくなかったのです。
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けれども私の命は、それでは満足してはくれませんでした。
今から16年前、私は、神様に手を引かれるように、神様のお広前に引き寄せられました。私の命は「幸せになりたい!」と強く願っていたのです。
お結界の先生のお取次をいただく中で、私は先生にこのようにお届けさせていただきました。
「先生、幸せが怖いんです・・・」
そんなことを言うと、きっとがっかりされると思っていました。しかし先生は、にっこりとお笑いになりこのように仰ってくださいました。
「そうか、そうか、怖いんやなあ(^^)佳世さんは『幸せ』を知らないからなあ。知らない世界は怖いやろうなあ。
大丈夫ですよ。佳世さんが助かっても、助からなくても、不幸でも、幸せでも、神様と先生の愛情に何一つ変わりはありません。これからもたくさん対話していきましょう。
先生もおじいちゃん、あなたもおばあちゃんになっても、親子の対話をしていきましょう。それが親子の愛情というものなんやで(^^)」
私は、幸せが怖かったのではなく、「幸せ」って一体どういうものなのか、知らないだけなんだと分かりました。
そして、不幸でも、幸せでも、これからもずっと、神様と先生との繋がりが切れることもないし、ずっと続いていく関係なのだと思うと、とても安心しました。
この安心感を「幸せ」というのかなあ・・・そんなことを思いながら、私は「幸せ」を求めて、先生のお取次をいただきながら、信心をさせていただくようになりました。
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信心をさせていただくようになり、丸16年の月日が流れました。どれだけ信心をさせていただいておりましても、生きていると苦しいこともありますし、悲しい出来事も起こってまいります。
それでも、私はいつも「幸せだなあ〜」と思っているのです。
不思議ですよね。
幸せの条件は、苦しいことや悲しいことが無くなることではないのだと、改めて思わされます。
幸せの条件は、「幸せの心」があるかないかでございます。私は、先生のお取次を通して、神様との繋がりを感じていく中で、あるがままの自分に自信を持てるようになりました。それと同時に「幸せの心」が大きくふくらんでいきました。
本日も、氏子の幸せを祈らせていただきながら、お取次をさせていただきながら、しみじみと思わされました。「やっぱり神様を大切にする心が、幸せの心を育ててくださるんだなあ」と。
ここからも氏子と一緒に、どこまでも神様を大切にさせていただきたいと願っております(o^^o)
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
(※お写真は、お広前の障子を二枚透明にさせていただきました。参拝者の方がお教会の玄関を開けた瞬間に、お広前が見えるのです。また一つ神様との距離が近くなりました✨)
引き続き執筆させていただく励みになります
YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。
えええ、すごい!
フェイスブックのカバー写真のためにこれを使うことができますか?????
神様の光は素晴らしいよ!✨???? 人々は神様に来たいと思っています。✨
(Comment via Facebook)
キシュ アシュトンさん、素敵なコメントをありがとうございます。カバー写真ですか、どうぞどうぞお使いくださいませ✨
キシュ アシュトンさんのおっしゃる通り、本当に神様の光は素晴らしいですね✨私も改めて、しみじみと感じさせていただきました。ありがとうございます。神様のご愛情をしっかりと取り次げるよう、ここからも信心をさせていただたいと願っております(o^^o)細川佳世
(Comment via Facebook)
ありがとうございます、先生! ????????♀️
神様は幸せだと思います!! ????✨
(Comment via Facebook)