吉備舞のお稽古を通して「気持ちを言葉にするお稽古」を【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。


昨日は平戸教会にて吉備舞のお稽古をさせていただきました。(※吉備舞とは神様にお供えされる奉納舞のことです)
まずはお広前で、一人一人お取次をいただかれ、お稽古のおゆるしを神様にいただきました。
その後、全員で開始のご祈念をさせていただきました。



こうして、平戸教会で吉備舞のお稽古ができるまでの道のりは、決して順調ではありませんでした。

なぜなら、お教会で吉備舞のお稽古をさせていただくには、まずはお稽古をさせていただくお部屋と、舞人がお着物に着替えるお部屋が必要でした。当初それらのお部屋はございませんでした。 
なにより、一緒に生活をさせていただいている家族の協力が必要でした。

ただただ、話し合いを重ねてまいりました。

「どうすれば、神様の御心にかなうのか」
「どうすれば、人が助かるのか」

ずっと、夫である展信先生と共に、試行錯誤しながら吉備舞のお稽古の実現を願い続けておりました。

 

 

いつの日だったか…

「なぜ吉備舞の指導をされようと思われたのですか?」と誰かが私に聞いてくださいました。
その時私はこうお答えさせていただきました。


「私は過去、吉備舞を通して神様に助けていただきました。
吉備舞を通して『神様と一緒に生きる』という生き方、つまり信心を強くさせていただきました。そして、神様に無い命を何度も救っていただきました。
だから今度は私が、吉備舞を通して信心を伝えさせていただきたいと思っております。そして舞人と一緒に、お育ていただき、助かっていきたいと願っております」

 

 

もちろん「願い続ける」と言っても、ただ神様に願うだけではありません。願うだけでは信心にはなりません。
「神様が必ずおかげを授けてくださる」と信じ、一つ、一つ、踏み込んで動かせていただくのです。金光大神様のお取次を支えにしながら、行動させていただくのです。


行動の中の中心はやはり対話。ただただ家族と話し合いを重ねてまいりました。
人との関係が壊れることを恐れず、
大切にしてきたものを失うことを恐れず、
ただ、氏子の助かりを願わせていただきながら、祈りながら、動かせていただきました。 
こうして「願い」は自然と行動にあらわれていくものなのです。

そしてこの度、願いを神様が叶えてくださり、おかげを授けてくださいました。ありがたくて展信先生とハイタッチさせていただきました。

 

 

私は、吉備舞の指導をさせていただきながら、手の動きや足の動きを見させていただきながら、いつも舞人の「心」を見つめさせていただいております。


あれ?何かを言いたそうにしているけど、言葉にできないのかなあ・・・
あれ?不安そうなお顔になったけど、何を不安に思っているのかなあ・・・


そういう時は、お稽古を中断してでも、たとえ今日はお稽古ができなくても、しっかりと舞人と目と目を合わせてお話をさせていただきます。

「先生には何でもお話してくれると嬉しいな(^^*)先生はどんな気持ちでも、聴かせてくれると嬉しいよ。そうだ、今日は先生とお話する日にしようか♬」

すると、

「・・・あのね・・・」

こうして気持ちを言葉に出来ると、舞人はまた満面の笑顔でお稽古に集中されるのです。気持ちを言葉にすることができると、心が自然と神様に向かっていくのです。


こうして舞人の心に寄り添わせていただき、一緒の時間を過ごすこと。
舞人の助かりを祈りながら、私も一緒にお育ていただくこと。
昨日はとても幸せな時間をいただきました

このようなおかげをいただけたのは、神様と、金光大神様のお取次とご祈念のおかげでございます。神様、金光大神様、ありがとうございました。


(※最後の2枚の写真は、お稽古のお部屋と、舞人がお着物に着替えるお部屋です。以前は物置き部屋になってございました。片付けさせていただき、こんなに活き活きとしたお部屋に生まれ変わらせていただきました)


こちらは、私と吉備舞の出会いをお話させていただいております(YouTube)よかったら聴いてみてください。https://www.youtube.com/watch?v=kCdyL8n_ElY 

金光教平戸教会 細川佳世

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