みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
昔、先生のお結界でずっと涙を流しながら頂いたお取次。
そんな日々を思い出す度、心にじんわりとした幸福を感じるのです。
その時はとても辛かったから泣いていたのですが、今になって振り返っていみると「涙を流せたこと」は、私にとって大きなおかげだったなあと、しみじみと思うのです。
物心ついた時から私は、涙が流れなくなっていました。
泣いたらバカにされる。
笑われる。
弱みをにぎられてしまう。
重たいと思われてしまう。
そう思っていたのです。
◯
たましいの親であり、信心の親でもある、先生のお広前へ初参拝の日。
私はお結果の先生に対して、ニコニコと笑顔でご挨拶をしたことを今でも覚えています。
その頃の私は、重い摂食障害抱え、医師にもさじを投げられ、心も身体もボロボロだったのに、悩みなんてありません、という顔をしていたことが思い起こされてきます。
助けてほしいからお参りしてるのに、
気づいてほしいからお取次を頂いているのに、
悩みなんてありません、という顔をしてしまうのです。
泣いたらバカにされる。
弱みをにぎられてしまう。
重たいと思われる。
難儀な子だと思われる。
そういうもう一人の自分が、自分を抑制していたのです。
◯
それはある日のお取次。
私は先生にこのように言われたのです。
佳世さんは、何も悩みがないかのようにニコニコしてるけど、
ずっと泣いておられるで。
佳世さんのたましいがずっと泣いておられる。
傷ついて、寂しくて、泣いておられる。
先生にはなあ、
泣いている佳世さんがよく見えるんや。
涙が、
流せるようになったらええなあ。
そう言われた時、分かったように言わないで!と思いながらも、
もう一人の自分が、声をあげて泣き出しそうになったのです。
この先生には、私の苦しみが「伝わってる」という安心感。
言わなくても「わかってもらってる」という安心感。
見つけてもらえた喜びで、泣きそうになるのです。
でも、もう一人の自分が、自分を抑制するのです。
泣いたら負け。
悔しい。
泣いてたまるか。
私は難儀なんかじゃない。
バカにしないで。
これまで誰も触れてくれなかった「傷だらけのたましい」に、触れてくれようとする先生。
本当は、触れてほしいのに、嬉しいくせに、傷つくのが恐ろしくて逃げようとする自分。
その繰り返しが、一体何回続いただろうか。
それでも先生は、
何度でも伝えてくださいました。
先生は味方であること。
けして私を傷つけたり、見離したりしないということを、何度でも何度でも、伝えてくださいました。
◯
私は、本当はずっと泣き叫びたかったのです。
だから、お結界で素直に泣いている人が、羨ましかったのです。
私は諦めずに、祈り続けました。
「お結界で涙を流せますように」と。
そう祈りながら、祈りながら、これまでのことを先生に聴いてもらっているうちに、うまく言葉にできないところが、言葉にできるようになっていったのです。
そしてご時節をいただいたのです。
「ずっと寂しかった…」
そうやって寂しかった思いを言葉にしながら、涙をたくさん流せた時、私はやっと、血の通った人間になれた気がしました。
「涙を流せたこと」
それは私にとって本当に大きなおかげでした。
◯
今、平戸教会のお結界で、涙を流さない人の方が、少ないのかもしれません。
それがとても、ありがたいなあと感じております。本当に本当にありがたいなあ…と感じるのです。
私はいつもいつも、しばらく顔を見ない氏子のことを祈らせて頂いております。
やっぱり、氏子がお結界で泣いていたお顔が思い浮かぶのです。
一人で泣いてないかなあ。
大丈夫かなあ。
ふとお顔が思い浮かぶたびに、祈らせて頂くのです。
私は、使命だから、祈っているわけではありません。
祈らせて頂けることが、好きなんです。
気づいたら、祈られて頂いているのです。
いつか、ここ平戸教会のお広前で、
氏子の涙を見ないという日はない、というようにまでならせていただきたいと願っております。どんな悲しみも苦しみも、ここで吐き出せるように、私もお育ていただきたいと願っております。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
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