みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
私はかつて、誰からも愛されない孤独な怪物でした。
というのも自分のことを普通の人間だと到底思えなかったのです。そんな私でしたが、神様のところへお参りすることを欠かしたことはありませんでした。
先生は、いつも怪物である私の話に耳を傾けてくださいました。私が見ている景色、生きている孤独な世界を、一緒に見ようとしてくださいました。一緒に苦しみ、一緒に乗り越えようとしてくださいました。だから私にとって、神様のところへお参りすることは、一人じゃないと感じられる一筋の光だったのです。
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そうやって日々、先生のお取次をいただく過程の中で、これまで蓋をしていた苦しみや悲しみ、そこから生じる怒りというものが強く吹き出してきた時期がございました。
私は先生に、孤独の苦しみを、感情を、ぶつけてしまいました。
「先生、私は怪物なんです!今は、人前だからこうやって普通に喋っていますが、一人になると精神がぐにゃっと歪んだように苦しくなって過食嘔吐しかできないんです。
神様は人間のことは可愛いかもしれませんが、神様も、先生だって、”本当の私”の姿を見たら絶対に引くと思います。だって”本当の私”は、怪物なんです…」
そう言ってしまった時、私は最悪の状況を想像しました。先生を悲しませたかもしれない…
そうやって不安になって、先生の顔色を必死で伺っている沈黙の時間ほど、苦しい時間はありません。そんな私に対して先生はこう仰いました。
「そうかあ。佳世さんは怪物なんやなあ」
そんないつもと変わらない優しい声に、あれ?と思いました。そして先生は、にっこりとお笑いになり、このように仰ってくださったのです。
「そうかあ。佳世さんは怪物なんやなあ。それなら、怪物も可愛いもんやなあ(^^)」
私は、先生のその意外な言葉に驚き、必死で反発しました。
「嘘ばっかり…先生は、本当の私なんて見たことないじゃないですか…」そう言いながら、私の目からは、涙がぼろぼろと溢れていました。怪物が泣いていたのです。氷っていた心に、熱いお湯が注がれたかのように溶け出し、涙が頰を伝って流れていました。
私はこれまで、怪物だと自分をののりし、自分を受け入れることができなくて…でも、それでも、神様と先生がありのままを受け入れ、愛してくださるのならば「このままの自分でもいいなあ」と思えたのです。
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みなさまは、自分をののしったり、自分を否定したり、自分に厳しくしてしまうことはありませんか?
「このままの自分でいい」
そう思えるようになった時、必ず生きやすくなっていきます。
「人から受け入れられるか、受け入れられないか」ということは、人間の価値とは無関係です。人から否定されても、自分で自分を否定しても、神様はありのままを受け入れ、愛してくださいます。
ここ、神様のお広前で、命の深いところで、それを感じていただければと願っております(o^^o)
(※写真は平戸の海です。色々な表情を見せてくださいます)
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
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平戸教会から見える海は絵はがきのようですね。
この穏やかな海は、いろいろな難儀を通り抜けてこられた佳世先生の今の情景なんだと思います。
(Comment via Facebook)
松崎さん(o^^o)「絵はがきのよう」という表現がすごく素敵ですね✨また「今の情景なんだと」・・・とても嬉しい言葉です。この穏やかに晴れ渡った海のように、人を思いやる優しい心をお育ていただきたいと願っております。いつも御祈念くださりありがとうございます。細川佳世
(Comment via Facebook)