とどのつまりは「愛」なのです

みなさまこんにちは🌼細川佳世です。
 
とてもとても嬉しい感想が届きました。
こちらは、私が綴らせていただいた書籍「神様のお広前で〜命を助けて頂いたお取次〜」のKindle版に寄せられた感想です↓
   
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「一気に読み終えてしまいました」
摂食障害による苦しみ、悩み、心の内側が文章から濃厚に伝わりました。本の題名には「克服」とありますが、克服にとらわれず、付き合い方を変えてくれた先生の愛に心を打たれました。摂食障害に悩む方、またその家族や関係者の方にぜひ読んで頂きたい一冊です。
      
「神様のお広前で〜命を助けて頂いたお取次〜」のKindle版
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私はこの感想の中の『先生の愛に心を打たれました』というところが、深く心に残っております。なぜなら私自身、「神様の愛」によって苦しみから救っていただきましたが、その愛を現してくださったのは、やはり御結界の先生だったからです。先生がいなかったら私は、「神様の愛」を知ることはできなかったし、そうなれば今頃私はどうなっていたかと思うとゾッとする思いがいたします。
    

          
今では私は、命の恩人である先生と同じ、お道の教師にならせていただき、難儀な氏子を取り次ぎ助ける立場にならせて頂いておりますが、私の元には毎日、「死にたい」というSOSの声が届きます。たとえLINEやメールからでも、鬼気迫る感覚が伝わってまいります。そして、その方の絶望的な孤独感が、私のたましいの奥底で感じられます。私は、その絶望的な孤独感に飲み込まれないように寄り添うべく、必死で神様に御祈念させていただきます。
   
「神様、どうかどうかこの氏子を助けてください」
    
神様に必死ですがり、祈りながら、祈りながら、直接御結界でお取次をさせていただいたり、LINEやメールでお取次をさせていただいております。「死にたい」といった声を聞かない日は、一日としてないように思います。それだけ、この世の中の多くの人の「たましい」が、深く傷ついておられるということでもあります。そのたましいの傷が見えること、感じられること、それがありがたく嬉しいなあと思っております。
    
では、
どうしたら傷ついたたましいが癒されるのか。
どうしたら苦しみから救われるのか。     
というところなのですが、とどのつまりは「愛」なのです。たましいが、「愛」を感じていくことで癒され、救われていくのです。
   
どこまでも受け入れてくださる愛
どこまでも包み込んでくださる愛
どこまでも祈ってくださる愛
許してくださる愛
厳しく叱ってくださる愛
力強く導いてくださる愛

私は「愛」を知り、救われていったのです。神様の愛を知るといっても、書物を読んだり、誰かから話をきいて、知識を得て、理解するということではございません。自分自身が抱える根深い寂しさと向き合い、裏切られるのではないか・・・見捨てられるのではないか・・・という不安を抱えながらも、御結界の先生に全力で受け止めていただき、深い絆で結ばれていき、絶望的な寂しさから救い助けられる中で、「神様の愛を身をもって感じること」が、神様の愛を知るということになります。

そうやって、たましいが愛を感じていくことこそが、深い苦しみからの助かりにおいて必要不可欠だなあと感じております。  
   
私も、神様の愛を目の前の氏子に現すことができますよう、ここからお育ていただいてまいりたいと思っております。どうか、一生のうちに一人でも、救い助けることができますようにと切に願っております。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

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