神様のイメージは「厳しい」それは叱られてきた幼き頃の体験から

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。


私は幼い頃、神様のことを”厳しいひと”と思っていたのです。
間違えたり、失敗したり、人に優しくできなかったら、神様はきっと私にがっかりするだろう。
そして叱られたり、見捨てられたり、悪いことが起こるだろうと思っていたのです。
  
「神様に見守られているから安心してね」
そう両親に言われて育ちましたが、私はいつも
「神様に見張られている」
そう感じ、安心どころか緊張していたように思います。
  
どうして?なぜ?
私はそういう厳しい神様像を自ら作ってしまったのか?それは・・・
自分が生まれ育った環境において「叱られてきた幼いころの体験」からきていたのです。
間違えたり、失敗したり、人に優しくできなかったとき、叱られて泣いていた体験から、
「神様に叱られる!」って勝手に思い込んでいたのです。

神様のことを、勝手に肉親の親と重ねてしまっていたのです。
ですから「神様の愛情」と聞いても、いまいちピンとこなかったのです。
    
しかし、後からわかったのです。
神様”厳しいひと”ではなく、どんなときも優しく包み込んでくれる”温かいひと”だということに・・・
  
それは、私が間違えた時、失敗したとき、叱らなかった人と出会ったからなのです。
どこまでも受け入れてくれて、どこまでも許してくれたという“新しい体験”を通して、神様のことを知ったのです。

 

 

私は過去、20年近く摂食障害や鬱や対人恐怖症などの心の病を抱えていました。しかし、金光教の「お取次」をいただくようになり、回復に向かっていきました。
金光教は”カウンセリング宗教”とも言われていますように、教会の先生が一対一でface to faceでじっくりと話を聴いてくださいます。
  
「聴いてもらえた」
「話せる場所ができた」
   
毎日お取次をいただく中で、私にもホッとできる居場所ができたのです。
そして、摂食障害や鬱や対人恐怖症などの症状も、少しずつ安定してきた20代半ばのころでした。
   
そのころ私は、将来についてこう願い、先生に言いました。
「社会​人として仕事をして、OL生活を充実したい​です!」
      
そう思う反面、心の中は、
「摂食障害や鬱や対人恐怖症を抱えた私が、社会でお仕事をするのは無理だろう」
「どうせ失敗するに決まってる」
「誰もがそう思うに決まっている」
そう思っていたのです。
     
しかし教会の先生は、私の気持ちに、そっと寄り添ってくださったのです。
     
「やってごらん(*^^*)」
「失敗してもいいやん。神様も先生もそばにいるよ」
「何があっても、神様も先生も、あなたの手をはなさないよ」
  
 
そう温かく包み込んで、背中を押してくださったのです。
  
「私のことを無条件に信じてくれている人がいる」
それは生まれてはじめての体験でしたので正直とても驚きました。
私は先生を通して「神様は、私に寄り添ってくださるんだなあ、こんな私のことを、信じてくれてるんだなあ、温かいなあ・・・」と感じていったのです。

 

 

これまで私は道に迷った時に、
「神様!どの道を願ってくれていますか?」
そう聞いてきました。しかし神様は答えてはくれませんでした。

なぜなら「神様が願っている道」はもともと無かったのです。

神様はただ、

「私が願う道」
「私が進みたい道」

それを一緒に探してくれて、本当の私を見つけてくれて、いつも温かく包み込んでくれて、背中を押してくれて、どこまでも寄り添ってくれて、つきまとって守ってくれたから、だから今、
自分が選んできた道が、ここにあるのです。
親の人生でもない、他の誰の人生でもない、自分の人生を歩かせていただいているのです。

私のたましいの親となり、温かい神様を教えてくれたのは、信心の師匠であります、尼崎教会の津田昇平先生でした。
人は、人の温もりを通して、はじめて神様の愛を知ることが出来るのだと思います。
人を飛び越して、神様の温かい愛を知ることは、人にはできないのだと改めて思わされました。

 

 

今の今、辛くて、くるしくて、さみしくて、死にたい気持ち。
どのような気持ちも、どんなことでも、決しておひとりで抱えずに聴かせてください。

ここ平戸教会は、
聴いてもらえる場所。話せる場所です。   
”温かい神様”が伝わりますようにと願いながら、何があってもあなたの味方にならせていただきます。
私を助けてくれた信心の師匠のように、目の前で苦しんでいる人を取り次ぎ助けられる先生になりたいと願っています。

去年、夫と共にここ平戸の地に布教し、今は遠く離れている教会の先生である信心の師匠の笑顔を思い出しながら”目の前の人の命を救える本物の取次師になりたい”そう願い、今日も夜が更けていくのでありました。

神様、金光大神様、本日も一日ありがとうございました
(添付のお写真は平戸教会前の平戸港の写真です)

金光教平戸教会 細川佳世

              

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