親を喜ばすのが、子どもの役目ではないこと【コメント4】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

思えば私は幼い頃から、お洋服も、持ち物も、習い事も、進路も、「親が喜ぶかどうか」を基準に選んでいました。
       
自分がやりたいこと、好きなこと、ワクワクすることが一体何なのかよくわからなくて、夢や進路も、親と同じ道を選び、「お母さんのようになりたい」「お父さんが行った高校に行きたい」と言い張り、まるで似た者親子のように振舞っていました。
    
それは、「私を見捨てないで」という私なりのサインだったのです。
「親が喜ぶかどうか」
「親を悲しませてはいけない」
それが親への愛情だと思っていたのです。
「こんなに愛情があるのだから、私を見捨てないで」という思いがいつも心の中にあったのです。
       
いつも忙しそうな両親のことを「自分が支えないと」と思っていた私は、子どもらしく、無防備に自分を表現できず、いつも強烈な不安感の中で生きていました。
  
   

      
    
私は中学生の頃、お母さんにこう言いました。
        
「私は将来、お母さんとお父さんの介護をしながら最後まで一緒に生きることが夢なんよ。介護のプロになれるように勉強したいから福祉の大学に行かせてほしい」
      
その時母は、あまりいい顔をしなかったことを今でも覚えています。
「なんで喜んでくれないんだろう…」その時はショックでしたが、今自分がお子様をいただいて母親になり、その時の母の気持ちが理解できるようになりました。きっと母は、介護してほしいなんてこれぽっちも思ってなかったから、あまりいい顔をしなかったのだろうと思います。
     
    
それから高校へ進学した私は、重い摂食障害を患いました。
不登校になり、精神科を転々とし、入退院を繰り返し、高校休学へと転がり落ちてしまったのです。
           
そんな時でさえ私は、自分の人生より、親の人生を心配していました。
       
「子どもがこんなに落ちこぼれてしまい、親を深く悲しませてしまった。なんとか、親が喜ぶ人生に復帰しなくては!親のために早く復帰しなくては!」
       
頑張っても頑張っても症状は重くなるばかりで、精神的にどんどん追いつめられ、断崖絶壁に立っているような日々でした。
      
     
その時は、気づいていなかったのです。
私の「親を悲しませてはいけない」という生き方こそが、摂食障害の苦しみへと繋がっていったことに。
 
  

   
   
自分の生き方の「生き辛さ」に気づいたのは、先生のお取次をいただくようになってからでした。
      
これまでのことを、たましいの親である先生に聴いていただいて、受けとめていただく中で、小さかった頃の心の寂しさ、悲しみを、神様に見つけていただき、それを吐き出し、癒していただくおかげをいただいたのです。
         
ようやく私は、「こんなに愛情があるのだから、私を見捨てないで」という自分の生き方の「生き辛さ」に気づいたのです。
       
そして知ったのです。
    
親と自分は違う人間であること。
親を喜ばすのが、子どもの役目ではないこと。
親の人生を生きるのが、子どもの役目ではないこと。
自分らしい、自分ならではの人生を楽しむこと。
それが私に与えられた役目であること。
それが神様からの願いであること。
  
        
そして「自分の感情を、心を、何より大切にする生き方」「自分の人生を楽しむ生き方」をお稽古させていただきました。
自分が本当にやりたいこと、好きなこと、ワクワクすることを、お取次をいただきながら、神様と先生と一緒に探し、見つけていったのです。
          
それができるようになってくると、生き辛さから解放され、あれだけ苦しかった摂食障害の症状も落ちついていったのです。
      
  

    
       
この天地には、一本の幸せになれる道があります。
それを「天地の道」といいます。
お取次の中で、その「天地の道」を歩ませていただけるように教えていただくのです。
      
私はずっと、「親を喜ばすのが、子どもの役目」だと思い込んで、生きていたのです。「天地の道」から外れて生きていたのです。
           
ずっと外れていることに気づかずに、舗装されていない凸凹道を歩いて、自分で躓いてしまって、転んでしまっていたのです。
                   
今、自分が歩いているところ、
道から外れているところを、
「天地の道」に戻していただくこと。
    
それを「お取次」といいます。
  
     

   
      
親と自分は違う人間であること。
親を喜ばすのが、子どもの役目ではないこと。
親の人生を生きるのが、子どもの役目ではないこと。
自分らしい、自分ならではの人生を楽しむこと。
それが私に与えられた役目であること。
それが神様からの願いであること。
   
    
そして「自分の感情を、心を、何より大切にする生き方」「自分の人生を楽しむ生き方」をお稽古させていただいたのです。
自分が本当にやりたいこと、好きなこと、ワクワクすることを、お取次をいただきながら、神様と先生と一緒に探し、見つけていただいたのです。
               
そして私は、「精神的に追いつめられ、断崖絶壁に立っているような人生」から、「神様と共に生きる幸せな人生」を歩める自分へと生まれ変わらせていただいたのです。
  
   
私を取り次ぎ助けてくださったのは、
摂食障害の生き地獄から救い助けてくださったのは、
たましいの親でもあり、信心の親でもある先生です。
     
先生に何度も助けていただいたこの命。ここからも命を込めて、目の前の氏子のお取次をさせていただきたいと願っております。神様、金光大神様、ありがとうございました。

金光教平戸教会 細川佳世

     
(※写真は、平戸教会の展信先生です。”助かる場所”の目印にと、毎朝教旗を掲揚させていただいております)

 

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西尾知笑

佳世先生、おはようございます。
佳世先生の投稿を読ませて頂いて、有り難く、考えさせられることがたくさんあり、またまた、涙がぼろぼろあふれでて…。
読んでいる最中は、いつも苦しくなることがあり、最後まで読めないこともあります。
けれど、 上手く言葉が出てこないのですが、佳世先生の投稿を読ませて頂いて涙をいっぱい、流したあとは、とても、救われた気持ちになるのです。
佳世先生、いつもありがとうございます。
まだ、泣いてる私です。
そして、神様に御礼を申し上げます。

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細川 佳世

知笑さん、こんにちは。考えさせられることがたくさんあるだなんて、とてもありがたく思います。

>涙がぼろぼろあふれでて…。

そうでしたかあ。たましいが震えて涙が流れる。知笑さんらしくて素敵だなあと感じております。涙は、悲しい時だけ流れるのではなく、幸せな時、嬉しい時、切ない時、感動した時、色々な時に流れますよね。知笑さんが救われた気持ちになられるのは、神様が側で一緒に泣いてくださっているからなのでしょうね。
聴かせてくださってとてもありがたかったです。ありがとうございます。

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石原香

佳世先生のお話を聞いて思います。
人のための人生を歩むのではなく、自分のための自分を幸せにするための人生を歩む気持ちを持てば、この病は落ちついてくると。
いま、わたしには絵を描いて画家になりたいという夢があります。そして、その夢を叶える環境もある。なぜなら、誰にも邪魔されない家があるから。だけど続いてしまう病。
自分を幸せにするための人生とは何だろう。と、もう一度良く考えてみたい。人に気をつかう自分はやめて。自分を幸せにしてあげるには、わたしには何が必要なんだろう?
わたしは、何を求めているのだろう? 小さな頃から自分をなかなか表現出来なかったわたしは、ある時期女優さんになりたかった。自由にいろいろな人になり表現したい。
そして、結婚してからは、茶道の先生になりたかった。いまは、画家さんに。全部自分を表現すること。
画家さんになるにも一朝一夕にはいきません。だけど、毎日画題探しをしながら自分の描きたいものを探して、街を歩き写真を撮っては描く生活をしているわたしはある意味とても幸せなんです。だけど、夜一人でいると過食なんかしないで絵を描けばいいのにシーンとした空間の中、考えてしまい、なんか食べたくなる。過食して下剤を飲み浣腸して出したくなる。不足感が出る。もっと過剰に食べたくなる。とは言え出すために食べている感じもあるのだけど。
そんなことをしている自分はとても辛くてさみしくて嫌いなのに。
自分を幸せにするには、この部分が一番大切ですね。わたしは、何がしたくてどうなっていきたいのか?
夢 という言葉を考えてみたらいくつもの夢が出てきます。画家になりいろいろな国に旅したり、スケッチ旅行に行けるようになりたい。
葛飾北斎に感動したわたし。自分の表現する力は、カリスマ的なものがあるんだと信じて夢を描く。
いまは、介護も終わった訳だから好きなことが出来る訳で。
だけど、いつまでも過去を悔やみ過去の辛さから病を続けている。
前を向きたい。前を。
だけど、絵は精一杯描いてるわたし。自分を幸せにするために。
そこをもう一度良く考えてみたい。
わたしは、誰と暮らしどんな生活が送りたいのか? 誰のために生きているのか?周りを喜ばせるためだけに自分を犠牲にしていくのはやめたい。哲学的なお話です。わたしを幸せにするためにという考え方は。
ただ、今のわたしが絵は大好き、美術館巡りや、新しい表現手段に出会えて良かったというその気持ちには変わりないです。
だから、わたしの中では目的や夢の形はある程度見つかってはいる。
不安が襲い、まだ続けている病だけど、確実に自分のやりたいことはしているわたし。人の基準ではない自分の基準で考えて。自分を幸せにしたいです。良いヒントを与えてくださり、ありがとうございます????
お祈りありがとうございます。

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細川 佳世

香さん、とてもありがたいメッセージに思わず手を合わせました。
「人の基準ではない自分の基準で考えて」とおっしゃる香さんがとてもとても頼もしく感じます。去年の香さんと比べるとすごい変化ですね。
苦しかった過去が変わったわけじゃないのに、香さんは変わってる。
本当にすごいなあと感嘆いたしております。神様を支えにこの一年よく生き抜かれましたね。  
「わたしには何が必要なんだろう?」
「わたしは、何を求めているのだろう?」
どこまでも香さんの感情をバロメーターにされてください。香さんが心地よいと感じるもの、嬉しいと感じるもの、楽しいと感じるもの、ホッとするもの、そういうものを大切にしていけば、きっと「何が必要なのか」「何を求めているのか」が見つかると思います。時間はかかってもいいと思います。丁寧にゆっくりと探していきましょう。
どんな時も、神様だけは離さずに、参拝とご祈念とお取次を大切に。
参拝の時は絵もお持ちして、貴子先生に見て頂いて、神様にお供えしていただいたらいいですよ。貴子先生も、神様も喜んでくださいます。絵は、香さんそのものですね(^^)日々のメールのお届けも、返信が出来ておりませんが、いつもありがたく拝読させていただいております。

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