ひとりぼっちということ

みなさまこんにちは💠細川佳世です。
     
今から16年前、私はある本と出会わせていただきました。
その本は、『ひとりぼっちということ』。
私の信心の師匠である津田昇平先生が書かれた御本でございます。この御本は、私にとって宝物であり、自分と向き合うきっかけをくださいました。
     
本をめくって1ページ目にこうございます。
『ひとりぼっちというのは、「誰とも繋がりがない状態」だと言えると思いますが、これはかならずしも親がいる、旦那さんがいる、恋人がいる、仲の良い友達がいる、だからひとりぼっちではないっていうことではないんですね。そういう状況であっても、ひとりぼっちになっているケースはいくらでもあるんじゃないかと思います』
    
私はこの一文を読んで衝撃を受けました。
「私のことが書いてある…」と。
これほどまでに、私の心情をズバリ言い当てている本に出会ったのは初めてのことでした。
私がこれまで言葉にできなかった気持ちを、見事なまでに言葉にして語られており、私は深い感動と、心から納得する感覚を覚えました。
そして「私、ひとりぼっちだ・・・」と気づいたのです。
   
私には両親がいて、姉弟がいて、恋人もいて、友達もたくさんいました。だから自分が恵まれていると思っていました。まさか自分が「ひとりぼっち」だなんて思ったことは一度もありませんでした。
しかし、何をしてもつまらなくて、満たされなかった。友達と笑っていても、本当は笑っていなかった。
家族が、恋人が、友達が、近くにいても近くにいる気がしなかった。
周りの笑い声が、遠くのほうで聞こえてた。
自分がこの世に存在していないような、まるで透明人間のように感じていた。
こんな私は、欠陥人間なんだ。
       
  
そう思っていた私が、この御本『ひとりぼっちということ』を通して、本当の自分に気づいてあげられた時、心が澄み渡っていくのを感じました。
   
「なんだ、私はひとりぼっちだったんだ・・・」
              
「自分はおかしいんじゃないか?」という、幼い頃から感じてきた自分への不信感がす〜と消え、心がとても軽くなったのです。やっと息が吸えたような気がしたのです。
   
  

  
   
その頃の私は、摂食障害という心の病を患っておりました。何年も精神科にかかり、何度も入退院を繰り返しても良くならず、悪化する一方でした。なぜなら、病院での治療やカウンセリングやお薬で症状を落ち着かせようとしたところで、私の根っこの部分は何一つ変わっていなかったからです。症状を落ち着かせることばかりに注目し、根っこの部分、つまり私の「たましい」が深く傷ついていたこと事を、その頃はまだ知らなかったのです。
        
    
『ひとりぼっちということ』の6ページにこうあります。
『たとえそのひとりぼっちの苦しみに心の蓋をすることができたとしても、やっぱりたましいは傷ついたまま、いのちの根っこでは何も問題は解決していませんし、寂しさが満たされるわけでもないですから、蓋をしきれないものがあふれ出してきたりするわけです。そしてそれは現実の生活の中で、目に見える様々な姿として現れてくるんですね』
   
 
私は欠陥人間なんかじゃない!精神が壊れてたんじゃない!気が狂ってたんじゃない!私はただ、寂しかったんんだ!と、気づいてあげられることができ、私のたましいは救われていきました。
そして、ついに私は、この御本を書かれた津田昇平先生がお守りくださるお教会の近くに引っ越し、本気で信心をさせていただくようになりました。
   
   
毎日、「ひとりぼっち」と感じる自分と向き合わせていただきました。「私はいつも神様のご愛情に包まれているんだ」ということを忘れないようにするために、お取次を頂くことを生活の中心におかせていただきました。
それでも私は、すぐに忘れてしまい、心がしんどくなっていきました。だから私は、日に何度もお参りをさせていただき、時間の許す限りお広前に浸からせていただき、お取次をいただきました。そして「ああそうか。神様は自分のことを大事に思ってくれてるんだ!」ということを感じていきました。
        
それでも時間がたつとまたあれこれ考えてしまい、また忘れてしまい、心がしんどくなっていきました。だからまたお参りをして、何度も何度も何度もわからせていただきました。
      
そうやって、1年、5年、10年かけて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、「神様が自分のことを可愛がってくださっている」ということを悟らせていただいて、16年の月日が流れました。今では、私の中に、神様の温かな灯りが確かにともり、もう二度と消えることも、薄れることも無いのでございます。
  
  

   
  
教師となった今、私はここ平戸教会のお広前を守らせていただくようになり、心に深い傷を抱えた方がひとり、またひとりと、お参りをされるようになりました。私は、初めてお参りされた方にこの御本『ひとりぼっちということー心の病からの助かり』をお手渡しさせていただいております。氏子の参拝が続いていくことを祈りながら、祈りながら。
御本を読まれた氏子は口を揃えてこう言います。「私のことが書いてありました」と。
       
御本の27ページにこうございます。
『ただ、はっきりと言えることは、この「ひとりぼっち」という感覚が、たましいを傷つけ、その結果として人の言動を含めたいのちの活動を不安定にさせて、逆に「わたしはひとりぼっちではないのだ」という安心感が、たましいを癒し、その結果としていのちが整っていくことになるのだということです』
     
この、私が抱えていた「ひとりぼっち」に、信心の師匠である津田昇平先生と神様は、数千時間、数万時間とお取次の中で向き合ってくださいました。これは、私にとって幸せ以外の何物でもございません。この感動を、この幸せを、次は私の氏子にお取り次ぎをさせていただくべく、ここからも、氏子のたましいの救済に命をかけさせていただきたい、なんとか、苦しんでいる氏子のためにお育ていただきたい、と願っております。
  
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

 

 

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