「物を捨てること」と「見捨てられ恐怖」【コメント4】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

昨日の地震で、私の実姉が神勤しております金光教杭瀬教会(兵庫県)では、食器棚から食器が飛び出し、落ちたガラスが地面で砕け破片が飛び散ったそうです。
幸い近くにいた幼い子ども達に怪我はなかったものの、物が落ちると「凶器」になるのだと思い知らされました。

まだまだ続いている余震が心配です。
これ以上被害が大きくなりませんよう、油断のないようにご祈念させていただきながら、ここ平戸教会でもすぐに動かせていただきました。

まずは、21時にお教会を閉門後、食器を置く場所、食器類の見直しから始めさせていただきました。大量の食器に圧倒されつつも、その中から今使うものだけを残させていただこうと決めました。

 

 

私は幼い頃から「物を捨てること」にどこか「もったいないことをした!」という罪悪感を感じていました。

とくに「誰かに何かをもらったら、一生持ち続けなければいけない」という思いに縛られてしまって、身動きがとれずにいたように思います。

たとえば、知人や親戚の人からよくもらったお土産の置物や、ガラスの箱のお人形や、お洋服など。さらに「もらったものは飾っておかないといけない。いつも着てないといけない」と思っていたものですから、もちろん部屋が物で溢れていくのです。

友人が部屋に来る時は、押し入れに物を全部詰め込みますが、再び押入れを開けると雪崩が・・・
そうやって物が増えるほど、気持ちよく暮らすスペースは減っていきますし、それはそれは、生き辛かったなあと今になって思い出します。

 

 

そんな生き辛さから解放され、お部屋や押入れに今必要な物だけが並び始め、すっきりと片付き始めたのはいつ頃だったかなあ。。。
それは、お教会にお参りして、お取次をいただいて「自分の内面と向き合う」ということを始めた頃だったと思います。

「使わない物だけど、もったいなくて捨てられない」
「もらった雑誌や本は、大切に保管しておかないといけない」

そんな自分の心をよく見つめると、その背景には「罪悪感と恐怖」があったのです。

・物を活かせなかった自分への罪悪感
・「捨てる=もったいない事をした」という罪悪感。
・捨てると、物をくれた人を傷つけてしまうのではないかという恐怖。
・その人との関係が崩れてしまう恐怖。

そういった「罪悪感と恐怖」を抱えた自分は一体どこから来たのか??
お取次をいただきながら自分を探していく中で、幼いころからずっと「見捨てられ恐怖」がある自分と繋がっていったのです。

しかし、
そこから信心させていただく中で、神様という「決して切れない関係がある」ことを知りました。それと同時に、いつしか「捨てる」ことに罪悪感を持つこと事態、必要のないことなんだ!と思えるようになっていったのです。

つまり私はどこか「捨てる」という行為に、「人に捨てられる自分」を重ねていたのです。

 

 

続けて信心させていただく中で、私は生き方が変わっていき、不要な物はすぐに手放して、思い切って捨てたり、他の人に使ってもらうようになりました。

最初は、物を捨てる度に罪悪感と恐怖で胸がチクチクと痛みました。
しかし、そのチクチクする痛みを受け入れつつ、お世話になった物に対して、少しの間だけでも、便利な生活をくださったことへのお礼。
少しの間だけでも、自分の心を豊かにしてくれたことへのお礼。
使わせていただいた物に、そして神様に、真心込めてお礼申し上げるようになったのです。

そしたらなんと!お部屋や押入れもすっきりと変化し、それと同時に私の心も身体も楽になっていったのです
そして、過去の自分とは真逆の「生きやすい自分」に神様が変えてくださったのです。すべては、神様との「決して切れない関係」という安心感の中でいただいたおかげでありました。

 

 

いつの日だったか、お取次の中で「物を捨てることは、物を生かすこと
と教えてくださったことがございます。

捨てるのに生かす???
それは、捨てるといっても、ゴミ箱にぽいっと捨てるわけじゃなく、物を循環させることで、今ある物が生きてくる、新しい物が生まれるという意味でございます。

私は社会人時代、思い切ってクローゼットのお洋服を片付け、必要最低限のお洋服だけを残したことがありました。そうしたことで、いまあるお洋服を大切に、大切に、お手入れしながら使わせていただける自分へと変わっていったのです。
こうして「物を捨てること」で、自分の生き方のクセや歪みを認め、そこから生き方を軌道修正していただいてきたともいえます。

 

 

すべてのものは循環し、私もその一部で、この天地のお働きの中で共々に生かされいるのだという事を日々感じております。
人間は、血液が循環することで生命が維持されるように、お教会の命もまた、維持していくためには物がある所にたまってしまわないように、前に、前に進ませていただきたいと改めて思わされました。

お写真は、お教会の食器の片付けをしている最中でございます。コップだけでもすごい量でしょう

助かりたいと願う氏子に、
「捨てることは、もったいないことではなく、今ある物を大切に使わせていただくことに繋がっていくのですよ」
そう、心からお伝えさせていただいている今日このごろでございます

引き続き、この度の地震の被災者の方、被災地の方が、神様にお守りいただけますよう続いてご祈念させていただきます。 
神様、金光大神様、本日も一日ありがとうございます。

金光教平戸教会 細川佳世

               

                    

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堀部有貴

堀部有貴 私も同じです。捨てられない、勿体ない、いつか使うだろうと思い手放せない。そしたら荷物がどんどん増えていきました⬇️⬇️今はスマホアプリからフリマで出品しきらなくなった服や物を新しい持ち主の元で新しい命として活かさせて頂いています‼️

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細川 佳世

有貴さん(*^^*)物を手放せなかったお気持ち、聴かせてくださってありがとうございます。今はフリマに出品されておられるのですね。そうやって新しい持ち主さまに使っていただくこと、とても素敵なことですね。素晴らしいです✨

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松崎信子

佳世先生、「物を循環させることで今あるものが生きてくる」「物を捨てること」で、自分の生き方のクセ」歪みを認め、そこから生き方を軌道修正…。具体的にお教会の沢山の食器を必要な物だけにしてあとはどうされるのですか?

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細川 佳世

松崎さん✨いつもお読みくださり、お祈り添えいただきありがとうございます(*^^*)使わせていただくもの以外の食器は、神様のお身体に返しさせていただいたり、または人にお譲りさせていただく予定でございます(*˘︶˘*).。.:*♡

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