みなさまこんにちは。佳世先生です。
立春を迎え、春の気配を感じつつも、まだまだ寒い日が続きますね。ここ、平戸教会お広前は、いつもピリッとした寒さを感じ、それが心地よく、身が引き締まる思いがしております。
本日はブログのご紹介をさせていただきます(^^)
妊娠すると、大半の方は、新しい家族が増える喜びや嬉しさ、そしてお腹の子に会える日を待ちわび、温かい未来の家庭を思い描くことも多いことと思います。
しかし、妊娠は必ずしも明るい未来が待っているばかりではないのです。
「赤ちゃんの死」という悲しい結末を迎え、自責の念や、途方もない怒りを抱えたまま孤立してしまう方は大勢いらっしゃいます。
私自身、我が子を亡くし、そういった方の苦しみを思うと、胸が張り裂けそうになります。
だからこそ私は、神様のご愛情を伝えずにはいられないのです。
悲しみは、吐き出し受けとめてもらう中で必ず消えていきます。どうかひとりぼっちで抱えないで、ここ、神様のお広前であなたの思いを聴かせてください。
   
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第1話のご紹介です↓
       
 
「第1話 はじめに〜どんな境遇で生まれてきても〜」
       
 寒い冬の朝、会える日を待ちわびていた第一子を、妊娠三ヶ月で亡くしました。
      
 「残念ですが…」医師の口から出たその言葉に、私は自分の耳を疑いました。
     
 心は凍りつき、涙も流れず、湧いてくるのは自責の念でした。周りから責められるのではないかという恐怖心から、自分を責めることでなんとか崩れそうな心を支えていたのです。
     
 自分が悪かったんだ…
 もっと早く病院に行けばよかった…
 母親なのに、なぜ我が子を助けてあげられなかったのか…
 気づいてあげられなくてごめんね…
 きっと苦しかったよね…
 お母さんを許してね…
   
    
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 それから、夫と共に神様のお広前に参拝させていただき、お取次をいただきました。
 先生に、悲しみを吐き出し、受けとめていただきました。
     
 そして奇跡が起こったのです。
    
 私のたましいの親である先生に、命名いただいたその瞬間、そこに眩しいほどの光が差し込んできて、真っ暗だった世界が真っ白に明るくなっていったのです。 
    
 この子の命は今、ここに居る…
     
 神様は、亡き我が子に再び命を吹き込んでくださったのです。
     
   
 もう一度、亡くなった小さな命に触れたい、
 もっと我が子の命と向き合いたい、
 私はパソコンを開き、ブログをつづりはじめました。
    
   
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 ブログをつづりながら、涙が流れます。
 でも、けして悲しみの涙だけではなく、幸せの涙、喜びの涙でもあるのです。
       
 それは、生まれてきた赤ちゃんが、新生児でも、胎児でも、愛しさは何も変わりないことを、我が子が教えてくれたからです。
   
     
 今私は、街で赤ちゃんを見かける度、「生まれてきてくれてありがとう」と声をかけたくなります。妊婦さんとすれ違う度に、「無事に生まれてきてね」とお腹を撫でたくなります。
     
 すべての命が愛しく思え、すべての命を助けたいと思えるのは、我が子を亡くした悲しみを”乗り越える”のではなく、悲しみを大切に抱きしめ、悲しみと共に生きて行こうと決めた時からでした。
   
   
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 悲しみは、吐き出し受けとめてもらう中で必ず消えていきます。
     
 どんな境遇で生まれてきても、神様と一緒に生きていく「信心」があれば、親も子も、幸せになれるのです。
    
  どうか、赤ちゃんの死という残酷な現実を突きつけられ、今も悲しみに暮れている方が、悲しみの中に光を感じられますように。
    
  そう祈りながら、ここまでの日々をつづっております。
  ご一読いただけますと幸いです。
(つづく)
       
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 佳世先生の箱庭
 佳世先生の箱庭 

産声の無かった出会いとお別れを心に刻まれるお母さん。
丸ごとなんとかさせてもらいたいと私は思っています。
ご家族で、振り返ることのできる場所が教会であればと、模索中です。
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くわな先生、日にち御神勤くださり誠にありがとうございます。「丸ごとなんとかさせてもらいたい」「ご家族で、振り返ることのできる場所が教会であれば」くわな先生のような先生がいらっしゃること、とてもとてもありがたいです。私も、行き場の無い悲しみや、怒りや、絶望に、そっと手を差し伸べてあげられるお教会にならせていただきたいと願っております。共に人の助かりを願えることが心強く、嬉しく、心から御礼申し上げます。細川佳世
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