信心の深い味わい。本当の楽しみ【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
   
今年の一月、私は40度の高熱にうなされておりました。苦しくて休むこともできず、もう死んでしまうかもしれないと感じていました。その日、信心の師匠がこのようにお取次くださいました。
  
「ここまでの命の御礼を」
  
意識が朦朧としている中でその一言を頂いた私は、お布団の中でここまでの命の御礼を申し上げておりました。不思議と「いつ死んでも悔いがないなあ、幸せな人生だったなあ」と心は穏やかでした。  
  
  

    
   
かつて、心の病をかかえて途方にくれていた頃の私は、死にたいのに、死ぬことが怖くて、いつも死の恐怖に怯えていました。
    
幼い頃、誰かに「佳世は生かされて生きているんだよ。神様に感謝しないといけないよ」と言われてから、私はずっと生かされていることが重荷でした。
その言葉は大人になってからも、ずっと重くのし掛かり、「生かされて生きている」という言葉がだんだん息苦しくなっていきました。
   
そのとても苦しかった頃、私は信心の師匠に出会ったのです。
私は思いの限りを師匠にぶつけていました。
        
「わたしは、生かしてほしいなんて言ってもないのに、勝手に生かしておいて、神様にお礼をしろというのは、命の押し売りであり、お礼の強要じゃないですか!私は、生きたいと思ってないのですから!」と。
     
そんな私の思いを、先生は一度も否定したことはなく、叱るでもなく、何かを教え諭されたこともなく、ただただ、理屈では説明できないこの苦しみに寄り添ってくださり、私の話に耳を傾け続け、聴き続けてくださいました。    
それから15年の月日が流れました。気づいた時には、目の前の霧が晴れ、苦しみが安心に変わっていました。
あの頃、死にたいと願った私の命を生かした神様の心はどういうものだったのか。
今思えば、叱るでもなく、教え諭すでもなく、ただずっと寄り添い続けてくれた先生。それが神様の心そのままだったのだと分からせていただきました。
   
 

  
  
私は今年で35歳を迎えさせていただきました。鏡に映った自分の姿を見て、ふと思いました。
  
「この手、この足、この鼻、この口、この耳、この目よって、私はこの35年間、何をしてきたのか、何を感じてきたのか?」
   
そしたら不思議なことに、良いことばかりが思い返されてきました。
   
この手があったから、大人になってから、お母さんとまた昔のように手を繋ぐことができた。
    
この鼻があったから、幼いころ鼻炎だった私は、お父さんがいつも病院へ連れて行ってくれて、そこでお菓子を買ってくれるのが楽しみだった。
   
この足があったから、苦しくて仕方がない時、神様のお広前に引き寄せられた、あの日の初参拝があった。
    
この耳があったから、お取次の中で、神様のご愛情を何度も何度も聴くことができた。
        
この口があったから「助けてほしい」と言えた。「さみしい」と言えた。「すき」と言えた。
   
この目があったから、今こうして、嬉しかったことを綴らせていただけて、それを多くの方がご覧くださり、そしてたくさんの氏子と神様のお広前で出会うことができた。
  
どれほどの感動と喜びを。
これまで味あわせてくださったのか。
しあわせな日を送ってきたことか。
はかりしれません。
    
       

    
     
私は今日もまた、神様のお広前に座らせていただいております。
私はいつ死んでも悔いはないけれど、自分が先生にしていただいたように、たった一人でいいから、消えそうな誰かの命を繋いでから私は死にたい。今はそう心から願っております。
   
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

 

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松崎信子

佳世先生のお取次ぎで、消えていくかもしれない命が助かるといいですね。一人でも多くの人が。
そして、生きていて良かった!とその人が思ってくれたら、取次師として本望ですね。
愛媛から(^人^)

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細川 佳世

松崎さんこんにちは(#^.^#)松崎さんのおっしゃる通りですね。愛媛からお祈りくださり誠にありがとうございます。遠く離れておりますが、私も松崎さんの幸せを祈らせていただきます✨細川佳世

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