先生を信じた分だけ、神様を信じる心をお育てくださいます 【コメント6】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

「人を飛び越えて、神様を知ることはできない」という教えがございます。ここでいう人というのは、お結界でお取次をしてくださる「私にとっての金光大神様」のことを差しています。

「私にとっての金光大神様を飛び越えて、神様を知ることはできない」という意味になりますね。

神様を知るといっても、書物を読んだり、誰かから話をきいて、知識を得て、理解するということではございません。

自分自身が抱える根深い寂しさと向き合い、裏切られるのではないか…見捨てられるのではないか…という不安を抱えながらも、私にとっての金光大神様に全力で受け止めていただきながら、「神様のご愛情を身をもって感じること」が神様を知るということになります。
    
この神様のご愛情を知りながら、共に関わり合いながら、深い絆で結ばれていき、絶望的な寂しさから救い助けられていくのでございます。
  
神様を信じるということは、一朝一夕ではなく、また一方通行でもなく、自分と私にとっての金光大神様とが共に歩んだ道のりと、苦しみを乗り越えた日々とが、一つ一つ積み重なり、じっくりと育んでいくものなのでございます。
  
 

 
 
私は毎日友達に囲まれ、いつも楽しそうに笑っていました。そしてその笑顔の裏では、いつもびくびくと怯えていました。本当の自分がバレることが恐ろしかったのです。
  
「なーんだ、佳世ってこんな子だったんだ」
       
とがっかりされるんのが恐ろしくて、誰一人として信じられず、いつも相手に合わせた仮面をつけて取り繕っていました。
   
今から15年前、ある日のお結界でのことでした。私が抱えていた寂しさが、堰を切ったように流れ出してきたのです。しかし寂しい気持ちを吐き出したいけど、うまく言葉にならない苛立ちで、身体を震わせながら声を振り絞りました。
   
   
    
「先生、苦しいです!心の中にたまったしんどい気持ちが、真っ黒なかたまりが、爆発してしまいそうな感覚になるんです。苦しいです!」
  
  
「佳世さん、心配いらない、すべて出したらいいんや。出せば神様が飲み込んでくださるんや。吐き出したぶんだけ楽にしてやれると神様がおっしゃっておられる。先生はどんな佳世さんでも受けとめることができる。どんな佳世さんでも大丈夫なんや」
  
  
「先生、私は、受けとめてもらえないんじゃないかということ以上に、自分が壊れてしまいそうな恐ろしさを感じるんです。背筋がゾッとするんです。出したら、あまりの苦しさで死んでしまうんじゃないか。先生にとんでもない事を言ってしまうんじゃないか。先生にぶつけてしまうんじゃないか。私は、自分の中の真っ黒なかたまりを、悲しみや苦しみを、先生にぶつけるなんてみっともないし、恥でしかありません。私にとってかけがえのない存在の先生にそれをするくらいなら、死んだほうがましだと思っています」
  
  
「佳世さん、みっともなくもないし、恥でもありません。吐き出した時の苦しさで、佳世さんが死んでしまうこともありません。神様が必ず守ってくださいます。大丈夫。先生を信じた分だけ、神様を信じる心をお育てくださいます。佳世さん、生きて助かりましょう」
       
 
    
      
先生はいつも「先生を信じた分だけ、神様を信じる心をお育てくださいます」とおっしゃってくださいました。本当の気持ちを言葉にするのはとてもこわく、痛みを伴いました。
「なーんだ、佳世さんってこんな子だったんだ」と、今にもがっかりされるんじゃないかと不安で仕方ありませんでした。でも、気持ちを言葉にしたあとは、苦しさがちょっとずつ、ちょっとずつ削り取られていったのです。私にとって一回、一回のお取次が、めぐりのお取り裁きでした。
    
  
めぐりのお取り裁きは、激しい痛みを伴います。
    
  
でもけして、神様は苦しめたいわけではなく、ただただ助けてあげたいだけなのです。神様が、命の奥に突き刺さった毒針のようなめぐりをつかみ、取り除いてくださっている時の治療の痛みであり、楽になるための痛みですから、とてもありがたい痛みなのです。  

ですので、こわくても、痛くても、めぐりのお取り裁きから絶対に逃げてはいけません。こわくても、痛くても、神様と先生と真剣に向き合い、自分と真剣に向き合うのです。
それにめぐりは、親や先祖が作り上げてきたものですから、逃げても逃げても、逃げ切れるものでもありません。
           
めぐりから逃げたら一生苦しいままだと思った私は、逃げてはいけないと思い、お教会の近くに引っ越してきました。そしてこわくても、毎日先生のお取次をいただくようになりました。一日中神様におすがりし、朝から晩までお広前で過ごすようになりました。お広前で自分の気持ちを見つめ、それをノートに綴って何度もお結界に持っていったり、何時間もお広前で平伏して泣きながら必死でご祈念したり、一日中そればかりしていました。またそれしか出来ませんでした。
     
そうやって毎日、神様と先生と真剣に向き合い、自分と真剣に向き合い、苦しみも、悲しみも、喜びも、お結界でさらけ出し、仮面の奥の本当の気持ちを聴いていただきました。
      
「今日も先生は、優しかった」
「今日も先生は、困った顔をしなかった」
「今日も先生は、大丈夫だった」
         
そんな日々の繰り返しの中で、「神様はどんな私でも愛してくださる」ということを悟っていったのです。
  
   

  
   
先生を信じていくお稽古の積み重ねは、いつしか「神様を信じる力」に繋がっていきます。神様を信じると言っても、なかなか目には見えないから、私たち取次師の先生をお結界に置いてくださっているのです。
何度でも、何度でも、私たちを試してみてください。そうやって、先生を信じた分だけ、神様を信じる心をお育てくださいます。
   
氏子の信じたいという思いに、こたえられる私にお育ていただきたいと切に願っております。
      
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

■共感してくださった方はボタンのクリックお願いします。
引き続き執筆させていただく励みになります👉 にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ  

👇YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。

コメントはありません

矢ヶ部 裕子

色々な苦しい思いを抱えながら生きる日々、その中で神様にお導き頂き佳世先生の元へお導き頂いた最初、色んな人から裏切られ心身共に傷付いていた私はまだ何もわからない状態で佳世先生のお座りになっているお結界に座らせて頂きました。元々、金光教の信者だった祖父からの自分の両親も受け継ぎ信心していましたが私はある事件で反感を持ちお参りする事もなくなっていた金光教のしかも長崎県の平戸教会に神様からのお導きがあった不思議。佳世先生とラインを交わさせて頂き佳世先生の元へ向かわせて頂きたいと思い去年の9月に平戸教会にお参りさせて頂くおかげを頂きました。
あの日が無ければ今の私は存在しないかもしれないなぁと思います。
佳世先生の教えは私が幼い頃から祖母や両親に連れてお参りさせて頂いていたお教会とは全く違っていました。
お結界の意味、親先生の意味…
私を生かさせようと佳世先生の元に導いて下さった神様、金光大神様、本当に感謝致します。
色んな悩みを抱えていらっしゃる方、毎日がしんどくて②死にたいと思っていらっしゃる方、どうぞ生きて下さい。助かって下さい。
神様は必ずおかげを下さいます。

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

裕子さん、ありがたく拝読させていただきました。
裕子さんが初めて平戸教会に参拝された日のことを思い出しました。とてつもなく大きな家のめぐりを一人で背負って生きてこられ、次から次へと難儀に見舞われ、今にも消えてしまいそうな、そんな儚い命、そしてとても可愛く愛しい命でした。
裕子さんがおっしゃる「ある事件」のこともそうですが、昔のことを話すのは、苦しみも、痛みも伴いますし、蓋をしてきた見たくない自分を見ることにもなります。
でも、めぐりから逃げず、立ち向かわれ、神様と先生を信じ、お結界に進まれる裕子さんのことを、神様は必死に支え、必死で抱きしめ、必死でめぐりをつかんで取り裁いてくださいましたね。
神様から裕子さんをお授けいただけた先生は、とてもとても幸せです。いつも神様と先生のことを大切に想ってくれてとっても嬉しいです(^^)これからも何が起きても、一緒に乗り越えていきましょう。細川佳世

(Comment via Facebook)

返信する
坂本小百合

色々なことを神様と先生と一緒に乗り越えて、初参拝をさせて頂いた1年前…
もうあれから1年なるんだなぁとしみじみ思い出されます。
この1年は長い月日のように感じておりました。
毎日先生にお取次をさせて頂いてるのに、1日1日が長く思います。
神様と先生はおかげを授けて下さり、今の私は生きています。
いつ死んでもおかしくない私を助けて貰っています。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
コロナが落ち着いたら、子供たちとまた平戸教会に神様と先生に会いに行きます。
それまでは、毎日書附にお縋りし、先生に毎日お取次させて頂き、過ごさせて頂きます。

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

小百合さん、今日も生きていてくれてありがとう。未熟な先生ですが、毎日毎日頼りにしてくれてありがとう。思えばこの一年、本当に色々なことを一緒に乗り越え、一緒に生きてきましたね(#^^#)
先生にも感謝の気持ちでいっぱいだなんて、、、もったいないです。先生は小百合さんのおかげで、将来もっともっと神様の御用にお使いいただくために、たくさんのことを教えていただいており、ありがたいことばかりで、先生こそ感謝の気持ちでいっぱいです。
ここから小百合さんに本当のおかげを授けてあげたいと願っております。心からの安心のおかげを。先生も、信心のお稽古をさせていただき、小百合さんのたましいの親としてもっともっとお育ていただきたいと願っております。細川佳世

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

脇田さんこんばんは(^^)信心をさせていただいたら、必ずおかげは頂けるのですが、そのためには、神様のおかげをしっかりと受け取れるだけの「器」が必要ですね。その器を作るためにはどうしたらいいかといいますと・・・お参りをして、話を聴いていただいて、そして先生の話を大切にして生活していくと、だんだんと器ができてくるんです。
器が悪ければ、授けていただいたおかげが、器の穴から漏れてしまいます。でも、器をよくすれば、おかげは底なしに頂けます。神様のおかげは底なしですから!神様は、脇田さんにおかげを授けたくて授けたくて仕方がないのですよ(#^.^#)年齢も、関係ございません。細川佳世

(Comment via YouTube)

返信する

コメントを残す