命の匂いー忘れられないお取次ー【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
私は十数年前にいただいた、あるお取次を、今でも片時も忘れたことがございません。
たましいの親であり、信心の親でもある、先生のこの時のお取次が、私にどれだけ「命」のことを教えてくださっただろうかと思うのです。
本日はその「命」のことを教えてくださったお取次についてお話をさせていただきます。
     
              
私が就職のおかげをいただいたのは25歳の時でした。
過食嘔吐を抱えながらも、お仕事ができるようになったことは、大きな自信へと繋がっていきました。
      
いつ後戻りして、あの地獄のような生活に転がり落ちてしまうかと不安でいっぱいでしたが、それでも「就職のおかげ頂いた」という事実には変わりありません。
不安はあるけど「おかげを頂いた」という神様へのお礼の気持ちを、何より大切にさせていただきたいと思っていました。
  
  
    
       
お教会では定期的に、神様へのお礼をさせていただく日として「ご祭典」がお仕えになられます。ご祭典日のお教会は、凛とした空気と、おめでたい空気が漂っております。
   
 
その中には「神様に助けていただいたお礼に」と、ご祭典の準備をされておられる方々のお姿がありました。
キラキラしてるなあ。
素敵だなあ。
かっこいいなあ。
       
そう思った私は、自分も神様のお側で何かさせていただきたくなり、先生にお届けさせていただき「お供え物のお魚をさばくお役」を頂きました。
       
ご祭典まで、まだ日にちがあったので、スーパーでお魚を買ってきて、自分の手に合う出刃包丁も買いに行って、ワンルームの小さなキッチンで、お魚をさばく練習を何度も何度も繰り返しました。本を読んだり、youtube動画を見たり、必死で勉強しました。
  
   
  
      
そして迎えたご祭典の当日。
お供えされていたお魚は、体長1メートル程もあり、さらに2匹もあったのです!
こんなに大きなお魚をさばくのは初めてで、何時間もかかってしまいましたが、なんとか無事にさばくことができて安堵しておりました。
        
        
しかし、お魚をさばき終えた自分の手を見てみると、血で黒く染まり、爪も割れてまっ黒になっていて、手がカサカサに荒れていました。
そして手についた匂いは、いくら洗っても、洗っても、消えてはくれなかったのです。
   
        
明日はお仕事。
私は、接客のお仕事ということもあり、その匂いが気になって気になって、しばらく憂鬱な気持ちでいっぱいでした。それから、先生にお取次を願い、お結界で両手を先生に前に差し出し、その憂鬱な気持ちを先生に聴いていただきました。
    
      
「先生、見てください。手に臭いがついて、くさいんです。臭いがとれなくて、辛いんです…」
     
       
そしたら先生は私の手を鼻に近づけて、そしてにっこりと笑ってこのようにおっしゃいました。
    
        
「うんうん。本当やねえ。お魚の匂いするねえ」
「佳世さん、先生はこの匂い、どんな香水よりいい匂いやと思うわあ(^^)」
     
       
私は「いい匂い?」としばらく、きょとんとしておりました( ゚д゚)先生はまたにっこりと笑い、このようにおっしゃいました。
      
           
「佳世さんがさばかせていただいたのは、お供え物のお魚なんやで。お供え物のお魚をさばかせてもらえるって、本当にすごいことやし、ありがたいことなんやで」
   
      
私はその時、ハッ!と大切なことに気づかされたのです。「お魚は、私たちのために、自分の命を差し出してくれたんだ…」
     
そう思うと「くさい」と思ったことが本当に申し訳なくなりました。お魚だって、そう言われるために生まれてきたわけじゃないのに(;_;)
私は心の中で謝りました。
「お魚さん、臭いなんて言って本当にごめんなさい」
    
     
それから私は、心の中でお魚に話しかけながら、お魚の気持ちに寄り添いながら、さばかせていただくようになりました。
        
大きなお魚を目の前にした時、よく見ると、いつもお魚は嬉しそうな目でこちらを見ているのです。
海の中で泳いでいる大勢のお魚を代表し、ご神前にお供えされたことが、誇らしくて、嬉しくてたまらないかのように。
    
    
だんだんお魚の気持ちが手に取るように分かるようになってきました。
     
どこまで洗えばいいのか?
水の温度は?
この部分は食べられるのか?
どこから切ればいいのか?
       
本やyoutubeを見ても分からなかったことも、すべて神様が教えてくださるようになりました。
      
私自身も、さばかせていただく度に、お魚の命をここまで近くに感じられることが誇らしく感じておりました。
    
       
  
     
そしていつしか、お魚をさばかせていただく度に、その匂いが取れない自分の手が、誇らしく感じるようになっていきました。
      
あれだけ憂鬱だった手の匂い。
ここまで変えていただけたのも、それもすべて、先生のお取次のおかげでした。
   
「佳世さん、先生はこのお魚の匂い、どんな香水よりいい匂いだと思うわあ(^^)」
             
十数年前のこのお取次を、私は今でも片時も忘れたことがございません。
この時のお取次が、私にどれだけ「命」のことを教えてくださっただろうかと思うからです。
    
     
     
今日も展信先生と共に、平戸教会の境内から海を眺めながら、先生のお広前を遥拝し、そして平戸の氏子のお引き寄せを願わせていただきました。
         
「命」のことを教えてもらえる場所はここにしかない!!
                
そう氏子に思っていただけるようなお教会に、取次師に、私たちもならせていただきたい!と改めて思わされております。
        
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
 
 
 
 

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荒島伸好

素晴らしいお話し有り難うございます。私も一瞬一瞬に神様が生まれる生き方がしたいとねがっています。

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細川 佳世

荒島さん、素敵なコメントありがとうございます。「素晴らしいお話」・・・この言葉とても嬉しいです(^^)
「一瞬一瞬に神様が生まれる生き方」・・・そんな生き方をさせていただきたいと願われている荒島さん。素敵ですね。
教祖様は『金光大神のことを生神と言うが、金光大神ばかりではない。この広前に参っている人々がみな、神の子である。生神とは、ここに神が生まれるということで、金光大神がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられる』とみ教えくださっておられますものね。
私たちは神様のお子様。私も荒島さんと共に、そういう生き方をさせていただきたいと改めて思わされました。

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