展信先生の日記のご紹介です→「醜形恐怖症(その1)マスクを取って生きていくために」【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

本日は展信先生の日記をご紹介させていただきます。

信心を伝えると言っても、「まずは自分がおかげをいただくこと」が大切だということを、身をもって体験された展信先生。そのおかげのいただき方を教えてくださっておられます。

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みなさん、こんにちは。
細川展信です(^^)

『マスクを取って生きていくために』との講題で、
長年醜形恐怖症で苦しまれた細川佳世先生のお話を拝聴させていただきました。
 
  
私はずっと信心の「勉強」をしてまいりました。
教典がクタクタになるまで読みました。
図書館で本を読み漁りました。
先師の教話を聴き入りました。
でもなかなか、はかどらない。信心とは?助かりとは?答えが出せず苦しんでいました。
 
 
その頃、佳世先生と出会い、佳世先生がお話くださる先生の御取次に出会いました。
そこには「神様がお与えくださる救いの道」がありありと現れており、私は泣き崩れておりました。
 
ようやく私は気づいたのです。
 
信心の「勉強」はいいかげん止めにしよう。
そこには何もなかったし、私には何も感じられなかったのだから…
そしてこれからは、
自らの助かりを求めよう。
自らを救い助けていただこう。
 
 
気がつくと私は先生がお座りくださっている尼崎教会のお広前に参拝させていただき、お結界にすすんでおりました。「先生、一体どうすれば教師として成長できますか?」そこから自分自信が、御取次を頂いて、天地金乃神様に出会い、真の道に入っていくのです。
 

教話の中で、佳世先生が救いを求めて、お結界の先生に苦しみをぶつけるシーンが何度も登場します。
それを避けず、逃げず、受け止められる先生。
やがて先生のご愛情が伝わっていくシーンは、言葉にならないほどに感動的です。
 
信心すれば、枯れ木にも花が咲くし、ない命も繋いでいただけると教祖様はおっしゃっておられます。
信心は「勉強」するものではなく、自分の助かりを求めて、御取次をいただき「我が身におかげをいただくこと」で理屈抜きでわかってくるものなのです。
  
理屈で信じたものは、
理屈によって崩れてしまうといいます。
私はそれを身をもって体験させて頂きました。
 

お話の中に出てくる言葉、

「日進月歩」
  
すぐに目に見えて楽になるわけではない。
長い時間。日々の御取次。お稽古の繰り返し。
変わっていく生き方。
そして賜る助かり。
ぜひ、お聴き取りいただきたいと存じます。
 
 
金光教平戸教会では、ご祭典後のご教話を「YouTube」で公開させていただいております。「YouTubeをみました!よければ私の悩みを聴いていただけますか…」とのお問合せもあり、信心のきっかけとなられた氏子も何名もおられます
金光教平戸教会チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCH2OKQRc1xXzfV9LM7mbkIA

あなたの心の助かり、信心のきっかけとなれば幸いでございます。

金光教平戸教会 細川展信

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松崎信子

本当に、このお道でお取次をいただいたら必ず助かると言うことが広がっていって欲しいなぁと思います。
展信先生と佳世先生なら!

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細川 佳世

松崎さん(^^)温かいコメントありがとうございます。嬉しいです。松崎さんの「お取次をいただいたら必ず助かると言うことが広がっていって欲しい」という気持ちがとてもありがたいです。こうして松崎さんがご投稿くださったコメントも、多くの方が目を通されることと思います。そして、苦しんでいる方が希望の光を感じてくれることを願っております。細川佳世

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