真っ暗な部屋で、自分の存在を消したかった【コメント2】

みなさまこんにちは細川佳世です。


私が大学時代の頃でした。友人と笑いあいながらも、私の内側から沸いてくる過食嘔吐の波は、24時間押しては返す波のように、とどまることを知りませんでした。    

一人暮らしのマンションへ帰るその両手には、いつも過食嘔吐をするための大量の食料を抱えていました。
誰にもばれない様に、人目に晒されないように、スーパーのレジ袋を布のカバンに押し込んで目隠しするように、平然とした顔をして颯爽と歩いて家路についていました。
       

マンションのドアを開けると、そこはいつもと変わらない私の部屋。
真っ黒な遮光カーテンで覆われた部屋。
日の光が漏れない様に、黒い布を両面テープで貼り付けた窓。
カーテンの隙間から誰かがのぞいているように感じ、画鋲で止めたカーテン。
布団カバーも、枕カバーの色も、家具の色も、黒色で揃えた部屋。
     
私は、テレビも音楽も苦手でした。
テレビをつければ、人の笑い声が、私を笑っているように感じて苦しくなるばかりでした。
音楽をかければ、私の現実とはかけ離れた明るい世界観にしんどくなるばかりでした。
私はただ、この静かで真っ黒な部屋に居る時だけは、私を傷つける物など何もないと思っていたのです。
     

私は、昼間の太陽の下で、多くの人と関わる中で、傷ついた心を癒すかのように、両手に抱えていた食料が大量に入ったスーパーの袋をひっくりかえし、過食嘔吐に明け暮れました。
真っ暗な部屋で、自分の存在を消してしまいたいと思っていました。
       
ところが私は、このお道の信心をさせていただく中で、変わっていくのです。そして十数年後、私がこの真っ黒な部屋から抜け出し、飛び立てる日がやってくることを、このころはまだ知る由もございませんでした。
  
  

  
   
先が見えないような深い暗闇にいても、私はお教会に毎日参拝をさせていただいておりました。
お教会には、ひとりでは乗り越えられないところを、一緒になって乗り越えてくださる先生がいらっしゃいました。
人目が怖く、外にでることを躊躇することは日常茶飯事でしたが、この苦しみをわかってくれる人がいるということが、私にとって一筋の光でした。
    
先生は、私のたましいの親となってくださり、共に苦しんでくださりながら、共に喜んでくださりながら、どんな難儀に襲われようとも、私のことを信じ、祈ってくださいました。
  
  
・・・十数年後・・・
  
   
「変わりたい!」
     
そう思ったのです。何か大きなきっかけがあったわけではありません。ふと私は、「今の私なら部屋の遮光カーテンを取れる!」という衝動のままに、一気に部屋中の遮光カーテンと、窓に貼っていた黒い布を剥がしていました。
     
変わりたい!自分をここから出してあげたい。
変わりたい!自分を明るい世界へ連れ出してあげたい。
泣きながら必死で剥がしていました。
     
そしたら・・・
一気に太陽の光が部屋に差し込みました。
驚きました。
予想していた事は何も起こらなかったのです。
     
窓を開けると・・・草木の揺れる音。燦々と照りつける太陽。鳥の鳴き声。道端の人の会話。私を傷つける人は誰もいませんでした。
      
部屋の床には、穏やかな日の光が差し込んでいました。
明るくて、優しくて、温かい光、それは金光の光でした。
その光に包まれながら、私は暫く呆然と立ちすくんでいました。
     
私は、お教会へ走りました。
お結界に進み「先生!先生!聴いてください!」と、まだ呼吸が整わないまま、十数年ぶりに部屋の窓を開けられたことを話しました。すると、先生はとても嬉しそうなお顔でこう仰ってくださいました。
  
   
「すごいなぁ。ありがたいなぁ。神様のなさることやなぁ」  
「ほんまに、ありがたいなぁ。先生もうれしいわぁ」
     
   
そうにっこりと笑ってくださった先生。それは、ここまでお取次くださった十数年の日々を思い浮かべるような、そんなしみじみとした優しいお顔でした。
  
  

  
   
「御祈念」でおかげを受ける世界もありますが、このお道の信心の一番大切なところは、前々の巡り合わせで難を受けているところを、本人が信心して、お取り払いをいただいて、神様のお徳に触れて、幸せになっていくことです。
ひとりでは乗り越えられないところを、一緒になって乗り越えてくださるのが取次師であり、たましいの親なのです。
    
共に苦しんでくださりながら、共に喜んでくださりながら、寄り添ってくださるたましいの親がいたから、私はどんな難儀に襲われようとも、乗り越えてこれたのです。
         
今は私は、昼間の太陽も、夜の暗闇も、どちらも好きです。天地金乃神様のお身体の中で、今日も生きさせていただていることを、とてもありがたく感じております(o^^o)
        
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

■共感してくださった方はボタンのクリックお願いします。
引き続き執筆させていただく励みになります にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ  

YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。

 

コメントはありません

石原香

おはようございます????
平成もあとわずか。
わたしも、昭和 平成 令和の三つの時代を生きることになります。
昨日の朝の番組で日本人は、働きすぎという話をしていて 本来休むのが人間だから、休むときは何にもしないのが休むことなんだとの話。
わたしもダラダラしてばかりいるのは、もともと活動的なので嫌いで割合働き者で、頑張り屋でここまでやってきました。
でも、ぼーっとするのが幸せで、ミスドでぼーっとしたり、セブンカフェでぼーっとしたりするのが幸せに感じられ、習慣に。
つまり、目的は主食を食べることよりも、何か甘いものを食べてぼーっとしたい。と願う。
甘いものには、癒しの力がありました。親を介護する中、さみしい気持ちがどんどん膨らみ、それを慰めるようにミスドで感傷に浸っていました。主人からの言葉がとてもとてもストレスに感じられ、冠婚葬祭の人への接待をするたびに、心が疲れ果て、もう嫌だ、もう出来ないと逃げるように実家へ。
わたしの心は、行き場を失い摂食障害に。
佳世先生 わたしは、お参りに行ってはいますが、とても疲れ果てているから、そこまで頻繁に飯田教会にも行けません。昨日の飯田教会の例祭も連休の渋滞を考えると行けませんでした。それには、いままでの介護やお仕事での移動の疲れや、忙しさからの疲れの気持ちが現れていて。
信心の気持ちはあっても、身体が動かない。
心が主人の言葉やプレッシャーなどで傷ついていて、戻ることができない嫁ぎ先。さみしい気持ちが込み上げてきての過食。こんな辛いことはありません。
もちろん、自分一人では、乗り込えられない病だから、これからも自分の余裕あるときのお参りはずっと続けるつもりですが、家族とのコミュニケーションを行った昭和記念公園でも、家族とわざと仲良くしてるフリをしてるみたいで、心が覚めていてさみしかった。どうか、自分では治すことができないこの病
お参りもままならないわたしだけど、いつも、心の中には信心の気持ちはあり、佳世先生や貴子先生に頼りたい気持ちはあることを理解してください。
やっぱり、わたしは結構いまでも、無理をしている部分があり、ストレスを溜めてしまうようだから。
いつも、お祈りありがとうございます。

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

香さん(o^^o)こんにちは。
少しでも香さんがぼーとする時間があれば、神様も先生も嬉しく思います。頑張りすぎてきた香さん。ぼーとする時間を作っていくことこそ、とても大切な信心のお稽古です。ミスド、セブンカフェ、素敵ですね。セブンカフェはコーヒーがとても美味しいのだと、先日お参りされた方が聴かせてくださいました。
ミスド、今はどんなドーナツがあるのでしょうか。今は私は出かけることはめったにございませんが、私は学生の頃ミスドが大好きでした✨特にクリームが入っているドーナツが好きでした。甘いものはさみしかった心を癒してくださいました。ミスドのドーナツさんにはとてもお世話になりました(#^.^#)
香さん、お参りのことですがあまり無理をされないでくださいね。神様はけして香さんを苦しめたいわけではなく、神様も、貴子先生も、私も、香さんのお顔を見れることを、会いにきてくれることを、ただただ楽しみにしてくださっておられるだけです。メールだけの繋がりじゃ、やっぱりどこか寂しいですものね。香さんはどうかなあ?同じ気持ちだと嬉しいです!
お参りは、無理のない範囲で、ご自身の体調に合わせながらお参りされたらいいと思いますよ✨何があっても、神様も、貴子先生も、私も、香さんの味方であることだけは忘れないでいてくださいね(#^.^#)いつもご祈念させていただいております。細川佳世

(Comment via Facebook)

返信する

コメントを残す