神様は夢を通してでも教えてくださる〜愛猫の夢〜【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

寝る前はいつも、神様にご祈念をさせていただきながら休ませていただいております。昨日、ある氏子のことを神様にご祈念しながら休ませていただいておりました。その氏子は、白内障を抱えているペットの助かりをいつも願っていらっしゃいました。その日私は御夢(みゆめ)を頂きました。神様は、夢の中でも色々なことを教えてくださいます。これを御夢(みゆめ)と言います。
   
御夢の中で、1匹の白猫が私を探して鳴き続けていました。その白猫は私が子どもの頃から飼っていた今は亡き我が家の愛猫でした。名前はしーにゃんと言います。
綺麗な水色の目をしたしーにゃんが、夢の中では白内障で両目の視力を失い、瞳は真っ白で、ずっと鳴きながらうろうろと私のことを探し続けているのです。私はびっくりして、すぐさま駆け寄って「しーにゃん、ここにいるよー!」と抱きあげて、抱きしめていました。そして目が覚めた私は、涙が流れていました。

抱きしめた手にふわふわの感覚がリアルに残っていて、寂しくもあり、切なくもあり、でも、抱きしめてあげられたことが嬉しかったのです。それは、ずっと抱えていた罪悪感が和らいでいくような涙でした。





私が高校生の時、しーにゃんが大けがをしました。そして、私の目の前で、血だらけになって鳴き続けていました。私は、血だらけのしーにゃんと目が合った時、なぜかこわくて、こわくて、身体が固まって動けなくなってしまいました。鳴いているしーにゃんを目の前に、何もしてあげられず、ただ見ているだけだったのです。誰か、誰か、しーにゃんを助けて!!
すぐに、私の横から両親がしーにゃんを抱きかかえ、病院へ連れて行ってくれてホッとしました。しばらく私はその場でひとりぼっちでたたずんでいました。
    
その時の出来事が、十数年たった今でも忘れられず、猫を見かける度に思い起こされてくるのです。なぜあの時、傷ついて血だらけのしーにゃんを見て、「こわい」と思ったのか。大好きだったのに、なぜ、この手で撫でてあげられなかったのか、助けてあげられなかったのか、抱きしめてあげられなかったのか・・・

今なら分かる気がするのです。その頃の私は、自分を傷つけてばかりいました。自分のことが嫌いで、大嫌いで、自分が生きていることが許せなくて、でも誰かに許してもらいたくて。そしてその心の叫びが、心の病である「摂食障害」とい形で表れてきました。摂食障害になった私はさらに、自分なんて生きている価値がない!といつと自分を責め続けていました。
そんな私も、人前ではいつも笑っていました。「いつも笑ってるね」「元気だね」「悩みが無さそうだね」と言われる度に、本当の自分がバレるまでは、まだ生きていていいような気がしていました。

いつも笑っていた私の命(たましい)は、傷ついて血だらけでした。ずっと昔から手当てがなされていなかった私のたましいの傷は、だんだん大きくなり血が流れ続けていました。
 
「人は、自分がしてもらったこと以外のことをするのは難しい」
     
と言いますが、まさに、手当ての仕方がわからなかった私は、どうしていいのかわからず、自分のことがよく分からず、ただただ自分のことがこわかったし恐ろしかったのです。
だから、血だらけになったしーにゃんと目が合った時、ただただこわかったし、恐ろしかったのです。
  
  

  
   
しかし神様と出会ってから、私は根っこから変わっていきました。初めて、お教会に参拝させていただいた日のこと。お結界(神様と人とを結ぶ場所)で、私の命の恩人であり、信心の師匠である先生は、にっこりと笑ってこうおっしゃいました。
        
「ようもようも生きて、ここにたどり着いてきたなぁ。それが何より先生はうれしいわ」
「もうここからはひとりやないからなぁ。先生もついてるからなぁ。ここから一緒に、神様のおかげをいただいていこうなぁ」
               
傷ついて血だらけの私に気づいてくれて、こんな私に手を差し伸べてくれる人が、まさかこの世にいるとは思いもしませんでした。私は夢でも見ているような、でも、信じてみたいような、そんな探るような視線で先生をじっと見ていました。しかし、先生の裏表のない優しい笑顔に、心を動かさずにはいられませんでした。
            
    
それから毎日お取次をいただくようになり、信心させていただくようになり15年の月日が流れました。ずっと心にひっかかっていたあの日のしーにゃんのことを、今こうして神様が御夢として見せてくださったのです。

昨日、しーにゃんを抱きしめながら泣きながら目が覚め、神様からのメッセージを受け取った私はこう思いました。
    
「私の心の傷は、もう癒されて、綺麗に治っているんだなあ(^^)」
     
その涙は、安堵の涙でした。
     
       

  
   
神様の治療は、とてもとても長い時間がかかります。傷が深ければ深いほど、時間はかかるものです。でも、信心させていただけば、もう二度と苦しまなくていいように、根っこから治してくださるのです。私も、もうあの頃のような痛みや苦しみを、二度と味あわなくていいようにしてくださっております。
   
私の先生は、親となってくださり、一緒に苦しんでくださり、一緒に喜んでくださり、一緒に、神様の治療を乗り越えてくださいました。
時に治療は、痛くて苦しくて逃げ出したくなるものです。だから神様は、ひとりでは乗り越えられないところを、一緒になって乗り越えてくださる、お結界の先生を、私たち一人一人に差し向けてくださっているのです。


ここ平戸教会のお結界で、氏子との出会いがある度に私はこう思います。「よく生きて、ここにたどり着いてきてくださったなあ。もう、ひとりじゃないですからね。これからは先生がついていますからね」
そして、傷ついた氏子のたましいを抱きしめ祈らせていただきます。こうして大切な氏子と一緒に、時に一緒に苦しみ、時に一緒に喜び、そうやって一緒に生きていける日々を、とてもとても幸せに思っています。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

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コメントはありません

松崎信子

最高!です。
心の栄養をいただきました。
ありがとうございました。
(^人^)

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細川 佳世

松崎さんこんにちは。「最高」「心の栄養」・・・とっても素敵な言葉ですね。とてもありがたい気持ちにならせていただきました。細川佳世

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