自分の価値が他人に依存していた頃【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

小学生の頃、内気で大人しかった私は、いじめにあいました。こわくて何も言えず黙っていました。
  
中学生になった時、もう二度とあんな辛い思いをしたくないと思い、明るく積極的で誰とでも話をする子を演じるようになりました。部活を始めたこともあり、派手で中心的な存在の先輩や、同級生と一緒にいるようになりました。
すると・・・これまで私をからかったり、嫌がらせをしてきた子が、私と仲良くしようとしてくるのです。これは、私にとって衝撃的な出来事でした。
  
さらに、私は出っ歯だったのですが、歯の矯正をして、雑誌でお化粧とヘアアレンジ勉強し、ダイエットをすると、女子も男子も、私に対する態度ががらっと変わっていったのです。
  
私は中学生の時、「自分がどう見られたら、人に受け入れられるのか」ということを知ったのです。 
       
それからの私は、「人に受け入れられる条件」を満たそうと必死になって努力しました。自分は人から受け入れられるだけの価値があるのか?ないのか?そればかり追い求めるようになりました。
  
しかしこの「自分の価値」というものが他人に依存しているという間違った考え方こそが、後の心の病の苦しみへと繋がっていったのです。
  
  

  
  
高校生になると・・・見た目やファッションを思い切って変えてイメージチェンジをするという「高校デビュー」という言葉が流行りました。この言葉自体は悪い意味ではないのですが、弱い自分を隠して強い自分を演技している人を、茶化す時によく使われていました。
     
私は、いつ自分が「高校デビュー」と笑われるんじゃないかと不安に思い、今度は「高校デビュー」と言われないような、大人しい自分を演じるようになりました。
     
気付けばいつも、人の目ばかり気にして、人に合わせてばかりで、自分を演じてばかりいました。弱い自分を守る仮面は、膨大な量になっていきました。
     
それでも、もともと内気だった私は、友人関係が思うように築けませんでした。自分はどれだけ努力しても、人から受け入れられるだけの価値が無いんだと感じるようになりました。
      
だんだん無気力感に襲われていきました。気づいた時には食べ物を過食するようになりました。過食した罪悪感から嘔吐するようになり、過食嘔吐が止まらなくなり不登校へと転がり落ちていきました。
    
こんな弱い自分が情けなくて、私の存在をみんなの記憶から消し去りたい、消えてしまいたい、と思っていました。
  
  

  
  
そんな私が、尊いご神縁をいただき、お取次をいただくようになりましたのは、今から16年前、私が19歳の時でした。
   
先生は、私のこれまでの経緯を、一つ一つ頷きながら聴いてくださり、共感してくださり、私の気持ちに耳を傾け、聴き続けてくださいました。そしてこのように仰ってくださいました。
  
    
「こんな佳世さんでなければならない、ということは何一つありません。どんな佳世さんでもいいのです。どんな佳世さんでも、先生は嫌になったり、離れていくことはありません。先生はけして、佳世さんのことを傷付けたり、見放したりすることはありません。信じてくれると嬉しいです(^^)」
  
 
私は、神様と先生の前でだけは「弱い自分」をさらけ出したいと思うようになっていきました。しかし長い間、仮面をつけて生きてきたので、さらけ出すことがとても恐ろしく感じました。
     
信じることがこわい・・・でも、逃げたら私は一生苦しいままだ。逃げてはいけない!と思いました。そんな私は、救いを求めてお教会の近くに引っ越してきて、毎日、何度もお参りして、先生のお取次をいただくようになりました。
  
   

  
  
それから16年の月日が流れました。私は信心をさせていただく中で、人ではなく、神様に心が向くようにお育ていただきました。
   
「他人から受け入れられるか、受け入れられないか」ということは、自分の価値とは無関係なんだということが、心の深いところで納得できた私は今、自分らしい、自分ならではの、とっても幸せな日々を送らせていただいております(o^^o)
      
これからも、どこまでも神様と私との関係を大切にさせていただきたいと願っております。神様、金光大神様、ありがとうございました。
  
金光教平戸教会 細川佳世

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石原香

おはようございます。
佳世先生のお話とても良くわかります。わたしもいま、まさに居場所の無さから〜に見える自分を演じざるを得ない状況なのです。
例えば、絵の教室では先生に気を使いご機嫌をとる。周りを気遣い、大人しく絵を集中して描く。もちろん好きな絵だから集中して描くのは当たり前なんだけど、周りからどう見られるかを意識してます。
たぶんとても大人しくて何を考えているか、わからない自分だと思う。
そして、友達から〜いついつ空いてる?と言われたら自分の都合より相手に合わせてしまい。ご近所さんとの付き合いも、やはり気になり、きちんと旦那のいる〜にお勤めをしている真っ当な人間を演じ、自分というものが曖昧なのです。
自分の存在が曖昧。
そんな状態が介護をはじめたころからはじまりました。
まあ、もともと、大人しい性格ではありました。小学校の頃もいじめられてました。中学校では、担任の数学の先生が良い先生で勉強を頑張るととても褒めて貰えたから一生懸命に勉強を頑張るようになりました。すると、やはり周りからの目は変わり次第にお友達が増えていきました。わたしが明るくなったからです。それもありますが、わたしの良い部分の天然なところが周りの人間から楽しいと思われたからというか。その頃はわたしもとても楽しかったです。自分らしくいられた時期
ありのままの自分で受け入れてもらってました。わたしの天然が出ると、かおりちゃん事件が発生しましたと言われたけど、それは周りを楽しませていたのです。
わたしは、そういうありのままの自分はきらいじゃありません。
いまは、この病になっていく過程でやはり佳世先生と同じく他人の価値に依存していた過程をたどっていました。それは介護という過酷な環境の中で、さみしい気持ちやストレスからのはけ口のように表れて来ました。嫁ぎ先に帰れなくなりあまりのさみしさからはじまってしまった病なのです。どこに行っても周りに気を使いご機嫌とり、そして、どんな風に見られるかを常に意識して、接客業でもある自分は、身だしなみに気を使い常に明るく振る舞う。そういうことに疲れました。そこからミスド通いがはじまりました。いつも、精神的に疲れるようになりました。あまり、自分というものが無かったわたしは、本当に周りに振り回されていきました。働きすぎもあり、嫁として義理父から働かされ、長男が携帯????を使い過ぎて義理父の口座から一月に10万も使い、そこに気を使い。だから、わたしにとって、これまでの介護からの13年間は、他人に自分の価値を依存する日々であり、いまもまだまだ、言いたいことが言えない毎日。
そして、いろいろなことをお願いしても、誰も助けてくれなかった孤独感もらありました。どこに帰ったらいいかわからな自分。絵を描くことは、わたしの病からの救いとして、神さまが与えてくださったこと。絵くらい、自由に描きたい。絵は何を描いたっていいんです。上手い絵を描かなくても、自分が思うままに、描けばいい。そういうことの勉強になります。今回の佳世先生の投稿の意味はとても深く、良くわかります。わたしが、夜になると過食する食べ物を買ってきて、お腹も空いてないのに食べるようになった、この現象は、自分の中では、不思議なことでしかなく、昔はしていなかったこと。この不安定な環境の中でおこってきた不思議な病です。幸せと感じるときもあるけど、苦しい。つまり、自分をあまり主張出来ない辛さ、人に気を使いすぎてしまう自分を変えていきたい。もちろん、更年期のホルモンのバランスの悪い状態ということもあります。
だけど、とても良くわかる佳世先生の投稿でした。
いつも、お祈りをありがとうございます。
石原香

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細川 佳世

香さん、こんにちは(o^^o)香さんの過去の苦しみ、これまでも聴かせていただいておりましたが、本当に本当に、よくここまで生きていてくださいましたね。改めてありがたい思いにならせていただきました。
「ありのままの自分が嫌いじゃない」とおっしゃる香さん。私はすごく嬉しいです。
そして信心させていただく中で神様からいただいた「絵を描くこと」。もし香さんに絵が無かったらと思う、とゾッとする思いがいたします。この神様からのプレゼント、ここからも大切させていただきましょうね。
変わりたいと思っても、自分で自分を変えることはなかなかできませんが、神様に変えていただくこと可能です。私のように(o^^o)

いつも素直な気持ちを聴かせてくださってありがとうございます。
引き続きご祈念しております。細川佳世

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