自分の助かりを祈るお稽古を。毎日何時間でも【コメント4】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

私が御用をさせていただいておりますここ平戸教会は、小さな島の上にあり、とても豊かな自然に囲まれております。
           
毎朝、お教会の門を開ける時、目の前には広い海が広がっております。
春の海風は柔らかくて穏やかに吹き抜け、
冬の海風はぴゅんぴゅんと肌を刺すように吹き抜け、
そういったこの天地の四季の移り変わりを、日々海風に感じております。
          
そして、毎日その場で展信先生と共に平伏させていただき、心の中で、私たちにとってたましいの親であり、信心の親でもある、先生のお広前へ参拝をさせていただいております。
そこは、冷たいコンクリートの上ですが、雨の日も不思議とその場所だけ濡れずに乾いているんです。そしてそこに座らせて頂いていると、先生のお広前の畳の上のように、じんわりとした温もりを感じ、心が落ち着いていくのです。
   
     
そしてその場所でしばらく神様にご祈念(心中祈念)をさせていただきます。
今日もお教会の開門をさせていただけたことにお礼を申し上げ、
神様に、ご無礼や、不行き届きをお詫びを申し上げ、
今日も一日氏子のお守りと、お引き寄せを神様にお願いさせていただいております。
     
それから、平戸教会のお広前に戻らせていただき、またご祈念(心中祈念)をさせていただきます。一日何度でも、何時間でも、お広前でご祈念(心中祈念)をさせていただきます。心にじんわりとした温もりをいただきます
  
  

   
    
「ご祈念」というのは、「神様に対して強く思う」ということです。
この「ご祈念」には、とても大きな力があるのです。
                 
平戸教会では、朝のご祈念の時間は「心中祈念」と決めさせていただいております。   
しんと静まり返ったお広前で神様に平伏させていただき、
神様と自分だけの世界に没頭して、心も体も神様への祈りに集中する。
そんな全身全霊の祈りを大切にさせていただいております。
   
      
それが大切だと思うようになったのは、過去にこんな出来事があったからでした。
十数年前。私は心の病から先生のお取次で助かっていく過程において、これまで蓋をしていた苦しみや、悲しみ、さみしさが溢れ出てきた時期がありました。
その時私は、自分の価値がわからなくなり、自分は死んだほうがいい!と思うようになり、「自分の助かりを祈る」ということが出来なくなったのです。
  
  
そんな私に対して、先生はいつも優しく、こうおっしゃってくださいました。
   
「祈ってください。自分の助かりを」
「先生も祈ります。佳世さんの助かりを」
      
なかなか自分のことが祈れない私に、それでも先生は何度でも私に「祈ってください」と言い続けられたのです。
             
そんな私は、毎日何度もお教会にお参りして、何時間でも「自分の助かり」を祈るお稽古をさせていただきました。
気付いたら日が暮れており、お教会は閉門の時間を迎えましたが、私は家に帰ってからも部屋の小さなお社の前で何時間でも祈りました。気付いたら失神するように、そのままスヤスヤと眠っていることも何度もありました。
   
     
先生はご存知だったのです。
「ご祈念」にはとても大きな力があるということを。
    
       
そしてそれは紛れもない真実でした。なぜなら私は、自分の助かりを祈り続けた結果、今こうして願った以上のおかげを、身にいっぱいにいただき、幸せの道を歩ませていただいているからです。
         
ご祈念で、目に見えてパッと楽になったわけではありませんでした。私の拙い「祈り」を神様が受け取ってくださり、長い年月をかけて、じんわり、じんわりと、神様がものすごい大きな力で動いてくださったのです。
  
   

 
    
思えば、先生はいつも「本気」で私と向き合ってくださいました。
だから先生のお言葉を受け取った時、私の「たましい」は震え、喜びにむせび泣く時もありました。
    
先生が「本気」だったので、お取次の中で発せられる何気ないお言葉でさえも、私の凍った心を何度も溶かしてくださいました。
            
人間の肉体には、神様から分けていただいた分け御霊(たましい)が宿っていますので「本気」は必ずこちらに伝わってくるものなのです。
  
     
ですので、誰もが「本気」でこの天地金乃神様に祈ったなら、必ずこの天地金乃神様に伝わり、そしてどのような困難でも大きな力で動かしてくださると信じています。
金光教祖は「思う念力岩をも通すというが、信心する者が一心を出して願えば、どんなことでも叶えてくださる」とまでおっしゃておられます。
       
だから私は、初めてお参りされる方や、電話やメールで繋がった方に、最初にこう聴かせていただいております。
    
「自分の助かりを祈れますか?」と。
     
そして先生が私に言ってくださったように、私も氏子にお伝えします。
   
「祈って下さい。自分の助かりを」
「私も祈ります。あなたの助かりを」と。
       
そして私は、その氏子の助かりを祈らせていただくのです。そして心に温もりを感じ、幸せを感じるのです。
  
    
      
平戸教会では、夜寝る前も必ずお広前に参拝し、自分の助かりを必死で祈っていたあの頃のように、何時間でも心中祈念をさせていただきます。      
ご祈念はけして無駄にはなりません。せっかくこのお道に御縁をいただいたのですから、毎日何度でもお広前にお参りして、何時間でも”自分の助かり”を祈っていくお稽古をし、幸せの道を、神様の道を、真っ直ぐに歩いていっていただきたいと願っております✨
       
金光教平戸教会 細川佳世

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坂本小百合

佳世先生、こんばんは。
先生方からの御祈念、いつも有難くして頂いています。
私も真剣に助かりを祈らせて頂いてます。本当にいつもありがとうございます。

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細川 佳世

坂本さん、こんばんは。
坂本さんご自身が、真剣に助かりを祈られておられること。本当にすごいですし、とても嬉しいです。今は目に見えて変化が分からなくても、神様は今の今動いてくださっておられるので、先々で振り返って見た時にはじめて目に見えて、その大きなおかげの違いが分かるのでしょうね????

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石原香

佳世先生 今日は、お彼岸で。
旦那と二人で二つの家のお墓参りに。とても、旦那は優しくて、結婚当初の頃となんにも変わらない。
変わったのは、家の中がぐちゃぐちゃになっているところ。わたしの手の及ぶ範囲ではない汚さでわたしの居場所がないこと。
長男が問題児でストレスがかかること。平和主義なわたしには、喧嘩も嫌いだから、ストレスがかかる。長男をもう、27歳にもなって教育し直そうとしてもなかなか無理。
家の中には、分別できていないゴミの袋だらけで、異臭までしていて。
わたしは、自分がストレスから逃げるようにミスドに行っていた習慣が残っている。 あの介護生活の中、居場所がなかったわたしの名残り。
いまは、親は誰もいないし、ストレスといえば汚い家と片付けられない長男。わたしのやりたかった茶道の夢はくだけて、汚い家で何処が茶道か? 神主か? みたいな。
わたしがいま出来ることは、絵を描くことだけ。食生活はままならず、不安からの過食。神さまに祈っても胃腸がもう不調になっていて、下剤と浣腸しないと出ないと思い込み。
佳世先生、なんら昔と変わらない天然なわたしと、優しい旦那なのに、あの頃と変わらない優しい自分なのに、病は病です。
春の日差しが優しく気持ちよく、わたしの心を和ませてくれているのかに、やっぱり、不安は襲ってくるんです。夜は。
一日一日を大切に、自分の思い出を楽しい思い出をたくさん絵で残していきたい。そんな思いです。
いつも、お祈りありがとうございます????

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細川 佳世

香さん、今日は旦那さんとお二人でお墓参りに行かれたのですね。香さんの親さま、ご先祖さまは、香さんのお顔が見れてとても喜ばれたことと、先生も嬉しくなりました。

香さん、親さまやご先祖さまとお話されましたか?香さんはこんなに頑張って生きている。寂しさから摂食障害を抱えながらも誰よりも頑張って生きている。今できることと思って、一生懸命に絵を描かれている。そんな姿を、香さんの親さま、ご先祖さまに、先生は知っていただきたいです。
一つの絵を仕上げることって本当にすごいエネルギーがいることと思っております。香さんに、愛情たっぷりに描いてもらえる白鳥も、犬も、猫も、天地自然も、とても喜んでおられるでしょうね。

旦那さんのこと、ご長男さんのこと、これからです。
まずは香さんが、楽になることです。心にたまったものを吐き出すことです。お参りして、お取次いただいて、甘えて、頼って、楽になって、それから、先生にお導きいただいて家族全員が幸せになれるような信心をしていきましょう。

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