自分の名前は好きですか【コメント6】

みなさまこんにちは細川佳世です。
     
私は”佳世”という自分の名前が嫌いでした。
名前をからかわれたり、名前に関するあだなが付けられることが多く、いい思い出が一つもなかったのです。
でも、名前をつけてくれた祖父と両親のことを思うと、そういう気持ちを誰にも打ち明けられずにいました。
  
  
  
   
19歳の時に、のちに命の恩人となる先生と出会い、全身全霊を傾けてお取次をいただくようになりました。ある日のお結界で名前の話になり、私はこのようにお届けさせていただきました。
  
  
「先生、私は自分の名前が嫌いなんです。この”佳”という字なんて、どうやって書くのか聴かれてもいつも説明できないですし、かわいくないですし…」
          
すると先生はにっこりと笑ってこうおっしゃいました。
        
「そうかあ。そうやったんかあ。先生は、この漢字好きやなあ。佳世さん、この”土”っていう漢字にはなあ、土壌の”土”をあらわす以外の意味があってなあ、」
      
私は、「へええ〜」と首を縦にふりながら真剣に耳を傾けていました。
内容よりも、ただただ、しみじみ話されるその先生のお姿に、その優しい口調に、心が癒されていくのを感じていました。
       
先生は続いてこのように話してくださいました。
     
「”土”の漢字は、神様をあらわす字なんやで(^^)」
     
えええ
私の命はとても喜んでいました。
      
そして先生は紙に筆で”土”の字を書き、それを私に見せながらこうおっしゃいました。
    
「昔の人は”土”の字をこう書てたんや。これは土を盛り上げた形でなあ、当時は地の神をあらわしていたんよ。それが時代と共に土壌(つち)をあらわす字として使われるようになったんや(^^)」
   
私はまたも「へええ〜」と首を縦にふりながら、その紙を両手で受け取り、じっと眺めていました。
   
「佳世さん、”佳”は神様をあらわす字。”世”は空間をあらわす字。”佳世”という名前は、神代をあらわすんやで(^^)」
  
私は、ただただこの時間が嬉しかったのです。
自分の名前について、こうしてじっくりと話をしてくださる、この時間が嬉しかったのです。
私にとって、こんな風に自分のことを見てもらえたのは、自分のことを話してくれたのは、初めての経験でした。
    
  
  
    
それからお取次の中で、名前をからかわれたり、あだなが付けられた辛かったことを聴いて頂くようになり、少しずつ心の傷が癒されていきました。   
    
そして、ずっと名前が嫌いだったのに、お取次を頂くことで自分の名前をとてもとても誇りに思うようになったのです。
   
もし先生のお取次が無かったら、私は死ぬまで自分の名前が嫌いだったかもしれません。
自分の名前が嫌いな人生から、自分の名前に誇りを持てる人生に変わっただけでも、私の命の豊かさは大きく変わったことを感じています。
    
          
   
ある日の平戸教会のお結界でのことでした。
氏子が私にこうおっしゃいました。
         
「先生、私は自分の名前が嫌いなんです。名前負けしてるなって思うんです」
      
「名前が嫌い」という方の心には、とても大きくて深い問題が隠れている場合がけして少なくありません。
親に人生を決められて、名前で苦しんでいる方も大勢いらっしゃいます。 
   
その方の”命”を受けとめないまま、周りがどれだけ「素敵な名前だよ」「可愛い名前だよ」と言っても、その方は苦しいままなのです。
    
私はただただ「氏子の命を受けとめさせてください」と神様に祈りながら、その氏子の「名前負けしてる」という気持ちに寄り添い、命の叫びを聴かせていただきました。
   
その時の私の心の中には、先生のお取次の温もりが、ずっと消えずに灯っていました。
  
    
◯   
   
   
些細なこと、と思っていても、
つまらないこと、と思っていても、
その事柄の奥には、大きくて深い問題が隠れていることがあります。
     
それをお取次の中で、聴いていただいて、神様に見つけていただいて、癒していただくことは、その人が助かって幸せになっていく中で、とても大切なことだと思っております。         
    
どうか、ひとりで悩んだり、ひとりで頑張っている方が、ここ平戸教会のお結界にお引き寄せいただけるようにと、本日も神様にご祈念させていただいております。
   
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世   
(※写真は昨日の平戸の海です☺️)
 
 
 
 
 

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8 COMMENTS

金田 栄路

自分の名前の、「栄路」は、山崎教会の教会長先生の明渡眞幸 先生の叔父さんの、かつらぎ教会の元 教会長先生の明渡 光一先生に、付けて頂きました。

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細川 佳世

金田さんこんにちは。そうでしたかあ、金田さんのお名前「栄路」は、明渡光一先生がお考えくださり、お授けくださったお名前だったのですね。お名前の由来が気になるところです(^^)私は、お取次の中で自分の長所も短所も、ありのままを受け入れていただくと、自分の名前も好きになっていきました^^ありがたいコメントをありがとうございます。

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石原香

佳世先生おはようございます。
佳世先生のお名前の意味 素敵ですね。わたしの名前の香も、わたしにしてみると、母の糸香から一字とった名前ということで子供の頃は、あまり好きではなかったです。
一文字ではなくて二文字がいいなと思っていたからです。いまは、姓名判断とか占いも良い画数とかあり、名前の字画にこだわってみたりいろいろと気にしていた時もありました。だけどいまはこの香という名前は響がとても綺麗で、苗字も石原なのでイシハラカオリという、名前の響きもとても綺麗で好きになり、いまは友達からは、カオリンと言ってもらい、可愛い名前だと思っています。いまは、病にかかり苦しんでいますが、わたしの結婚してから茶道を習いつけていただいた茶室の名前は芳香庵 とても、綺麗な名前です。
また、花の香り、香水の香であり、芳しく香るという、高貴な雰囲気があり、その漢字の意味を良く受け止めることで好きになる名前だと思います。わたしの子供二人にも、主人と大切に名前をつけました。
名前は、親が愛情を込めてつけられている大切なもの。だからこそ、ありがたく思っています。
新元号も令和という名前に決まりました。令和の意味もあちこちで話題となっています。
その影響力はとても大きなものです。自分の名前や生まれてきた意味、使命をいつも考えてます。
わたしは、いまは絵を通して人々を幸せにしたい思いがあります。
夜になるとさみしい気持ちからの過食はやめれないのですが、わたしの基本的な素直で優しい性格は、変わらないのだと思います。
貴子先生と佳世先生が三カ月に二回くらいは会っていると聞いて、佳世先生が身近に感じられて、いつかきっと佳世先生にお会いしたいなあと言う思いがあります。
その時を本当に楽しみにしています。今日もお仕事に行ってきます。

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細川 佳世

香さんこんにちは。香さんの名前はお母様から一字いただいたお名前だったのですね。子どものころはあまり好きではなかったのですね。聴かせてくださってありがとうございます。
今では、名前の響きを感じてみたり、友達から名前を呼ばれたり、漢字の意味を知り、受けとめることで、その名前が好きになられてる。すごいことですね✨✨
先生も香さんのお名前、とても綺麗だなあって思います。香さんの繊細で優しい雰囲気にぴったりですね。
以前香さんのお写真を送っていただきましたね。先生の手元には香さんのお写真がございます。香さんのことを想い、今日も神様にご祈念させていただいております。お仕事、いってらっしゃい。

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西尾知笑

佳世先生、展信先生、何時も御祈念くださり、ありがとうございます。

佳世先生の投稿を有り難く読ませて頂きました。

佳世先生の投稿を読ませて頂いて、いつも、色々なことを感じさせて頂いて、信じんのお稽古の振り返りをさせて頂いたりと、たくさんのことを学ばさせて頂いております。

私の名前は、祖母が、つけてくれました。

私は、祖母が大好きでした。御霊様となられた今も、祖母のことが大好きです。

それなのに、私も自分の名前が嫌いでした。
佳世先生のお気持ちがとてもよく分かりました。

そして、「名前が嫌い」ということは、心の奥深いところに問題が隠れている場合が少なくないということ。
聴かせて頂いて、改めてそうだったのかと思わさせて頂きました。

そして、私は、ある日、自分の名前の意味を調べていたのです。
そして、信心ノートに綴りました。
知笑の”知”という字は、神様に誓いが通じて、物事を悟る様子を表す。

知笑の”笑”という字は、
巫女さんが神様を喜ばせるために踊っている。そうすると神様が喜んでくれて、色々ご褒美をくださいます。

そして、信心ノートにこう綴りました。

私は、自分の名前があまり好きではなかった。
神様から思わぬお陰を頂いて。
自分の名前のこと、嬉しく有り難い名前と思えました。

名前をつけてくれた、おばあちゃん、ありがとう。

と、こうノートに綴りました。

私も、お参りを重ねて、魂の親様に御取り次を頂いていくなかで、自分の名前が、好きになっていったのです。

そして、今、自信を持ってお仕事で、子どもたちの前で、ともえ先生です(*^_^*)って
言えること。

子どもたちが、ともえ先生~って呼んでくれること、とても嬉しくて有り難いです。

素敵な名前だねと言ってもらえると素直に嬉しいとです。

佳世先生、ありがとうございます。

神様、ありがとうございます。

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細川 佳世

知笑さんこんにちは。投稿を読まれ、色々なことを感じられ、信心の振り返り、学びを得られておられること、ただただ勿体無い限りです。

名前が嫌いだったこと。
親様のお取次を頂く中で、自分の名前が好きになっていかれたこと。
こんな素敵なおかげが綴られている信心ノート。
知笑さんの宝物、財産ですね。

>素敵な名前だねと言ってもらえると素直に嬉しいとです。
そうでしたかあ。私も、”知笑さん”の雰囲気にぴったりの素敵な名前だと心から思います。

二代金光様の教えに「真のお礼は、うれしく、ありがたいきもちをそのまま人に聴かせること」とございます。
知笑さんが、うれしく、ありがたいきもちをこうして綴って聴かせていただけることこそ、これこそが神様への「真のお礼」となっておられることを感じます。
ありがたいきもちをお聴かせくださりありがとうございます。

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