醜形恐怖症(その3)死んでもままよの心とは【コメント6】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。


「お取次によって多くの人が助かっているらしい」という噂を聞いた私は、急いで兵庫県の尼崎教会へ参拝し、先生(昇平先生)のお取次に衝撃を受け、教会の近くに引っ越し、「自分の助かり」を求めて朝に晩にお取次をいただき、一生懸命ご信心をせていただくようになりました。

そして初参拝から4年が経った2007年。
23歳の時のことでした。

ずっと蓋をして、誤魔化しながら生きていた、私の中のドロドロしたものが膿のように出てきたのです。正確に言うと神様が出してくださったのです。
そのドロドロの中身は「自分はダメな人間」「自分は誰からも愛されるはずがない」「自分は何の価値もない」という自分を批判する心の声でした。


人間は、一時的に、緊急避難的に、心に蓋をして生きていくことができます。
しかしそれにも限界があるのです。何十年も蓋をして生きていくなんて、誰もできないことだと思っています。

どこかで蓋をしてきたものを出してもらわないと「幸せに生きていく」というのは難しいものなのです。それは、20代で出てくることもあれば、30代で、40代で出てくることもあります。私は、きっとこの時期がご時節だったのだと思います。

これをめぐりのお取り払いと言います。ドロドロとしたものを抱えたまま生きていくのは生き辛いから、神様はそういった人間のドロドロとしたところにさえ手を突っ込んでそれを掴み、取り払い、根っこから助けてくださるのです。







私のドロドロとした感情は「醜形恐怖症」とう形でも現れました。ですので、「醜形恐怖症を患った」という感覚よりは、醜形恐怖症という形で「しんどかったものを出してくださった」という感覚のほうが近いと思います。


それはとても苦しいものでした。
自分の顔が醜い、恐ろしい、という感情が一気に出てきました。

鏡を見ると、自分の顔が怪物になっているんじゃないかという恐怖で、鏡を見れなくなりました。

人前に出ると、顔に、身体にナイフが刺さっているように感じました。

顔、身体に刺さったナイフが、実際に激しく痛みました。

私の目の前に、人が一人増える度、ナイフが一つ増えていきました。

痛い。辛い。助けて。




私は、苦しくて苦しくて、「顔が変わること」を神様にご祈念しました。

この神様ならどんなおかげもくださると信じ、一日何度もお参りし、お広前で必死でご祈念しました。

家に帰ってからも、いつも、熱湯のような熱いお風呂に潜って、息を止め、命をかけて全身全霊でご祈念しました。

部屋のお社の前で、必死でご祈念しながら、あまりの苦しさに意識が無くなることも多々ありました。

ご祈念を終え、鏡を手に取る度に私はこう思うのです。

「変わっていない…」

絶望と期待の繰り返しでした。
それでも、諦めたことはありませんでした。いつも神様に祈り、先生におすがりさせていただきました。




ある日のことでした。
自分の顔の醜さに囚われて、苦しみながら生きていく人生なら、「もう終わりにしたい」と思ったのです。

そして私は、ノートにこう書きなぐったのです。


「顔おばけになってもいいから、誰かに受け入れられたい」


顔おばけとは、顔が歪んでつぶれて、誰が見ても、「おばけ」だと思うくらい恐ろしい顔のことだと思います。
当時の私にとって、死ぬことより苦しいことだったと思います。

でもその時、「おばけになってもいい」と思ったのです。
それでもいいから、おばけになってもいいから、「誰かに受け入れられたい」と思ったのです。


「誰かに受け入れられたい」


それが私の「本当の願い」であり「たましいの声」だったのです。







そして私はお広前にお参りし、お結界に進みました。

「もうどうなってもいい」
「神様にお任せしよう」

そう思った私は、さっき書きなぐったノートを先生に見せ、そして私は大きな声で泣いていました。

これまで人前でニコニコしてきた私が、
いつも笑顏を絶やさなかった私が、

お結界で、先生の前で、誰の顔色も気にせず、顔をぐちゃぐちゃにしながら、泣いていました。

きっと私のたましい(分け御霊さま)が、
「この先生になら、自分の本当の姿を見せても、大丈夫なのかもしれない」と感じたからこそ、

「もうどうなってもいい」
「神様にお任せしよう」

と思えたのでしょう。







誰にも遠慮せず、泣いて泣いて、しんどいものを全て涙で流しました。

先生はとても優しいお顔で、「たくさん泣いてあげたらええ」とおっしゃってくださいました。

泣き続ける私に対して先生が、お結界の引き出しからティッシュ箱を取り出し「はい、手元に置いておき」と優しいお顔で渡してくださいながらこうおっしゃいました。

 

「先生は、どんなあなたでも大丈夫なんや。愛しいなあ思うてるし、かわいいなあ思うてる。それが神様のご愛情、つまり親子の愛情というものなんや」

 

ありのままを受けとめていただき、泣き疲れた私は、ふと御神前を見あげました。

その時、御神前がとても綺麗だったのです。肉眼をおいて心眼で見たのでしょう。
これまで「なんで私がこんな目に…」と恨んできた神様が、とても綺麗だと感じたことを、今でも鮮明に覚えています。


そして、誰にも遠慮せず、ありのままの姿で泣いている時「私は存在している」という感覚が生まれました。
それまで透明人間のようだった私が「私は存在している」つまり「生きている」と感じていたのです。

ずっと、人の顔色を見ながら、人に気をつかいながら生きているのがしんどかった。
でも、ありのままの自分を、目の前の先生に受け入れてもらってはじめて、自分のことを受け入れることができ、生きている実感が湧いてきたのです。







現在、そうやって、もがき苦しんでいた頃の自分の姿を思い出す度、

よく頑張っていたなあ(^^)♪
可愛いなあ(^^)♪
愛しいなあ(^^)♪


と過去の自分を愛せるのです。
同時に、私の元に参ってくる氏子らのことを、可愛いなあ、愛しいなあ、でも可哀想になあ、しんどいやろうなあ、助かってほしいなあ、と心から愛し、祈らせていただける幸せを感じています。



金光教祖の教えに、
『神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ』 
とあります。

この「死んでもままよ」とは、けして「やけくそ」になることではございません。全身全霊でご祈念し、命懸けでお取次をいただき、最大限の努力、最大限の信心をさせていただいて最後の最後に、

「もうどうなってもいい」
「神様にお任せしよう」

と、結果すべてを神様にお任せすることを言うのです。



覚悟を決めて、神様に向かっていけば、おかげが受けられないということはありません。
どこの精神科に行っても助からなかった私ですら、こうして神様のおかげを身にいっぱい受け、100%醜形恐怖症を克服しているのですから。

さらに今は、金光教の教師として、 神様の願いに生きて、人を助けること。 それに携わることができている私は、とてもとても幸せだと感じております(^^)

ここからも共々に「ままよの心」で信心をさせていただきましょう。神様、金光大神様、ありがとうございました。

金光教平戸教会 細川佳世

             

          

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松崎信子

佳世先生のすざまじい生き方、助けられた方のお話を聞かせていただくと、世の中の難儀な人達、みんな必ず助かるんだ!と思いました。
ありがたいお話をありがとうございました。m(_ _)m

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細川 佳世

松崎さん、ありがたいコメントをありがとうございます。私は日々、多くの方の苦しさや悲しさや喜びを見させていただいておりますが、やっぱり苦しんでいる方は、苦しむような生き方をされておられますし、幸せになっている方はやっぱり幸せになる生き方をされておられます。松崎さんのおっしゃる通り、幸せになれる生き方をすれば、誰もが助かり、幸せになれると思っております✨私は、恩師に教えていただだいてきたその生き方を、ただ真っ直ぐに進んでいけますようにと心から願っております。細川佳世

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西尾知笑

佳世先生、いつも、私たち氏子のことをご祈念くださり、ありがとうございます。

佳世先生の投稿を読ませて頂いて、有り難くて、感無量になり、涙がぼろぼろあふれでてぐちゃぐちゃです。

ありがとうございます。

これまでの、魂の親様である先生から、神様から頂いたご恩を一生忘れないように。

ここからも先生と神様を離さないで、生きて参りたいと思います。

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細川 佳世

知笑さんこんにちは。私の投稿を、心で拾ってくださり、大切にしてくださり、とても嬉しく思います。
「有り難くて、感無量になり、涙が流れる」って、本当にすごいことですね✨きっと知笑さんの分け御霊さまが、たましいの親さまに愛されてきたことを思い出し、嬉しくて震えられたのでしょうね。
私も、いつも記事を綴りながら嬉しくて涙が流れています☺
苦しみ悲しみも、ご信心させていただけば、人生を豊かにしてくれるプラスのものとなっていく。そんなお道に、御神縁をいただいている私たちはとても幸せですよね✨佳世先生

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坂本小百合

佳世先生。いつも素敵なお話、御祈念をありがとうございます。

毎度毎度、本当に助けられてます。

ありがとうございます。

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細川 佳世

坂本さんこんにちは。素敵なお話と感じられる坂本さんの心がありがたいです。お話を読まれて、自分自身を省みて、そして信心が深まっていかれる。それこそがおかげを頂く器を大きくすることに繋がるんですものね✨とてもありがたいです☺佳世先生

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