吉備舞奉納はただ「したい」からするのではないこと【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

去年の夏から隣接教会で、吉備舞指導の御用にお使い頂いております(*˘︶˘*)吉備舞とは神様に奉納させていただく舞のことです。

小学2年生の舞人。
お稽古を始めたばかりの頃は、上手に出来るか不安で不安で涙を流される事も多かったのですが、なんと今では喜びいっぱい、満面の笑顔でお稽古されています。そして「次のお稽古は?いつ?♪」と次のお稽古が楽しみで仕方のないご様子(*^^*)
 
「間違えてもいいの。一生懸命出来てたから、100点満点の花丸です!!」といつも舞人とハイタッチ☆
 
間違えてもいいのです。

神様に見て頂きたいという想い。

もっともっと綺麗な吉備舞をお供えしたいという真剣な想い。

そうやって一生懸命にお稽古する姿を、神様がニコニコと喜んでくださっておられるのです。

そしていよいよ今月、ご大祭をお迎えするにあたり、舞人は初めての奉納に「神様に見て頂くんだ」って張り切っておられます。

 

 

そしてもう一つ。忘れてはいけない大切なこと。
吉備舞奉納はただ「したい」からするのではなく「どうか、吉備舞奉納をさせて下さい」と願いを立てて真剣にお稽古し、日頃の信心(参拝・ご祈念・お取次)の姿勢を神様とお結界の先生からご覧になって「お許し」下さってはじめて奉納させて頂けるものであること。
そのように私自身が教えて頂いてきたことを、お伝えさせて頂いております。
 
そして小学2年生の舞人は昨日、お結界に進まれ…

 「奉納舞をもって楽のお供えをさせて頂きたいのですが、お許し頂けますでしょうか?」

とお届けされ、お結界の先生にここまでのお稽古の姿勢、信心の成長を褒められ、奉納をお許し頂けた事に大喜びのご様子(*˘︶˘*)私も舞人と一緒に手をとって喜ばせて頂きました。

最近思いますのは、指導者の私自身も、毎回お稽古の指導をお許し頂けるかどうか、決してわからない我が身であること。油断と慢心が出ていないか、身勝手な信心になっていないか、日々お取次を頂き自分をチェックさせて頂かないといけないと思っております。

 

 

私は過去、生きるのが苦しくて、苦しくて、死ぬことでしか救われないと思っていました。
しかし、信心の師匠に「信心」を教えて頂き、救い助けて頂きました。助けて頂いたこの命が、いま、どれだけ目の前の舞人の助かりを願ってお稽古をさせて頂いているのか。信心を伝えられているのか。ここからの信心の成長を願わせて頂いているのか。
いつも自分自身に問いながら吉備舞の指導をさせて頂いております。

もうすぐ、吉備舞を奉納させていただくご大祭をお迎えします。
まだ教師として、取次師として、何も出来ない、出来ていない自分でありますが、それでも舞人の「神様への想い」がどうか、どうか神様に届きますように。舞人が、神様から頂いた命の花を咲かせられますように。

そう一心に願わせて頂く日々でございます。

天地金乃神様、日々ご祈念、お取次くださる信心の師匠である金光大神様、今ここにある幸せに心から御礼申し上げます。


(※お写真は、お広前の守である先生にご了承頂きUPさせて頂きます)

金光教平戸教会 細川佳世

        

        

          

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曽我部 章一郎

姉様の美絵先生も御舞の指導をされてらっしゃいますね。姉妹揃って素晴らしいです。只々恐れ入ります。

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細川 佳世

章一郎さん
そのようにおっしゃって頂き恐縮でございます????幼い頃から吉備舞を教えて下さった方々、祈って下さっていた西条教会の方々、このお道の信心をして下さっている両親、信心を継承して下さったご先祖様、その中で出会わせて頂いた信心の師匠、皆様のご祈念、お取次に心から感謝しています✨

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