額を畳につけてごらん(^^)

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

月に一度、お広前に参拝されていた遠方の氏子が、月に二度、お広前に参拝させていただくことになりました。とてもとてもありがたいなあ✨としみじみと感じております。
お広前に参ったら、参っただけのおかげをいただけます。なぜなら「お広前」というのは、私たち人間がおかげをいただきやすいように神様がご用意してくださった場所だからです。
      
「神様を感じやすいように。おかげを頂きやすいように。神様、どうかどうか、ここに居てくださいませ!」と神様にお願いし、その願いを神様はお受け取りくださり、ニコニコと喜んでくださり、そして格別にお広前に来てくださり、居てくださっておられるのです。ですので私たち氏子は、神様がいらっしゃるお広前にお参りさせていただくことで、たっぷりとおかげを頂けるのでございます(^^)
       
もちろん、お参りをしなくても頂けるおかげや、もう頂いているおかげもたくさんございます。でも、苦しみの根が深い場合、いわゆるめぐりが深く、命が危ない場合など、どうしてもお参りしないと頂けないおかげもたくさんあることを身を持って感じております。
  
 
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私は生まれながらに金光教にご神縁をいただいておりましたが、本当の意味での「お参り」というのをしたことがありませんでした。
どちらかと言うと、神様よりも友達が目的でした。「お参りすると友達と会えるから」「友達と遊びたいから」という理由でお参りし、お広前でぺちゃくちゃとお話したり、ゲームをして遊んだこともありました。
お参りの目的が、友達や遊びで、神様が”ついで”になっていたなんて・・・今思うとお恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。
そんな私は、幼心に「神様はありがたい」と知ってはいましたが「神様をリアルに感じる」ということはございませんでした。
  
   
その後の私はというと、人間関係を築くのが苦手で、ずっと生き辛さを抱えて生きていました。いよいよ生きることに疲れ、死ぬことを意識するようにもなり、心の底から助かりを求めてお広前に参拝させていただいたのは19歳の時でした。そして、のちに信心の師匠となる先生のお取次をいただく日々が始まりました。
    
そんなある日のことでした。教会に参拝させていただき、お結界で「神様、今日もこうして参拝させていただき、ありがとうございます」とお届けさせていただくと、信心の師匠である先生は、にっこりと微笑んでくださり、このように仰ってくださったのです。
       
「佳世さん、神様に御礼を申し上げる時は、頭を下げて御礼を申し上げてごらん(^^)」
      
私は少し不思議に思い「はい」と言い、ぺこっ!と頭を下げました。すると先生は、またにっこりと微笑んでくださり、このように教えてくださいました。
     
「佳世さん、ちょっと一歩下がってごらん。そして、もっと深く身体を倒してみて。そうそう、その体勢のままで、額を畳につけてごらん(^^)」
       
私は教えてもらった通りに、額を畳につけ、そして「神様、今日もこうして参拝させていたただき、ありがとうございます」とお届けさせていただきました。
     
すると・・・頭が上がらなくなりました。
私の目からは、涙が流れていたのです・・・
    
涙が流れるのは悲しい時ばかりではありません。神様から分けて頂いた分け御霊様(たましい)が喜びに震えている時も涙は流れるのです。
      
「神様は、ここにいらっしゃる・・・」
  
私はその時、体全体で、たましい全体で、神様を感じ取り、涙が流れていたのです。幼い頃から神様に手を合わすことはあっても、こうして体全体でひれ伏したことが無かった私が、リアルに神様を感じた瞬間でした。
   
 

 
  
その日から15年の月日が流れました。今も変わらず私は「体全体で神様に向かうこと」を一番大切にさせていただいております。
      
私の信心の師匠である先生がお守りくださるお広前へ参拝させていただくには、ここ平戸教会から18時間はかかります。実際にお参りしなくても、お手紙などで御礼を申し上げることはできます。しかしそれでは、響いている気がしないのです。なぜなら、神様から分けていただいている私の分け御霊様が、納得してくださらないのです。
   
今の時代、電話やメール、SNSに加えてLINEなどの便利なものがございます。しかしながら、体全体を使い、足を運んで、額を畳につけて、一生懸命に御礼を申し上げると、やはりぜんぜん違うのです。つまり、神様にお供えさせていただく真(まこと)が大きいのです。真は大きければ大きいほど、おかげも大きく、私の分け御霊様が喜ばれるのです。分け御霊様は、よくご存知なのですね(^^)✨
     
いつもいつもお守りくださっている神様に対して、どのような心得で祈らせていただけばよいのか。私たちのたましいはどうすれば救われるのか。それはやはり、お教会に足を運ばせていただき、正座をし、しっかりと改まり、額を畳につけてひれ伏し、祈らせていただくことが、たましいの助かりにとっては必要不可欠だなあ、としみじみと感じております。
         
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

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