みなさまこんにちは。細川佳世です。
本日は展信先生の日記をご紹介させていただきます↓↓
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みなさまこんにちは🌱細川展信です。
出会いは昨年の夏のことでした。深夜、電話のコールが鳴り響き、教会中に緊張が走る中、私は受話器を手に取りました。
その方は、今にも生き絶えそうな声で救いを求めておられました。正気を失い、声は声になっておらず、たましいで声を拾わせていただくべく、全神経を集中し、聴かせていただきました。
1時間くらいでしょうか。溢れんばかりの苦しい気持ちを聴かせていただきました。それは、私が今まで出会ったこともないほどの、深い難儀でした。
「死にたい」は「生きたい」の裏返し…などと言われたりもしますが、そうではないことに気づかされました。「本気で死にたい」それ以上でもそれ以下でもない氏子の切実な思いを感じ、なんとか受け止めさせていただきたく、必死で神様に祈りながら聴かせていただきました。
電話を切った後、その命の重さに私は倒れ、寝込んでしまいました。ただ私の分け御霊さまは、苦しんでいる方の命に触れさせていただくことができ、とても喜んでおられました。
◯
半年が経った頃。
私は変わらず、毎日その氏子の助かりを祈らせていただいておりました。その拙い祈りを神様がお受け取りくださり、細々と電話やメールのお取次が続くようになっていきました。
何としても助かってもらいたく、参拝をしてお取次をいただけるよう祈らせていただいておりましたが、めぐりが、氏子の足を引張り、助かりの邪魔をするのです。
参拝予定日の前日、「先生、元気になりました!」と、連絡が途絶え…
数日経って、「先生、死にたいです!」と、改めて参拝の予定を立て直し…
またその予定日の前日となると、「先生、元気になりました!」と、またも連絡が途絶え…
それを何度も何度も繰りかえしておりました。私は、氏子に参拝させてあげられない自分の力のなさを痛感しておりました。それでも、今にも途絶えそうな氏子の命を繋いでくださっていることがありがたく、神様に御礼申し上げさせていただいておりました。
◯
最初の電話から一年が経とうとする頃。令和2年5月31日、平戸教会におかれますご大祭が麗しく仕えられました。
ご大祭日は、「難儀な氏子を取次助けてほしい」という神様の願いが、より強く現れます。これをご大祭の御比礼(ごひれい)と言います。ご大祭日を迎え、神様のお力が、一層に輝き渡るのです。
ご大祭が麗しく仕えられてすぐのことでした。なんと、その氏子からこのような連絡がございました。
「今から死にます」
鬼気迫る感覚が伝わってまいりました。しかし私は、不思議と「ありがたいなあ」と感じていました。ご大祭の御比礼をいただいて、この氏子は必ず助かるんだ!神様が助けようとなさってるんだ!と信じることができたのです。
「死ぬ前に教会においで…神様も先生もずっと待っています(^^)」
その日の晩。閉門時間を過ぎてからも氏子の参拝を信じて待たせていただいておりました。神様が助けようとされているのですから、必ず神様が連れてきてくださると、確信がございました。
そして、真夜中、ついにその氏子は無事に平戸教会にたどり着かれたのでした。私は一年越しに氏子の顔が見れた嬉しさでいっぱいになり、ただただ神様に御礼を申し上げさせていただきました。
氏子のたましいがご安心くださるように、お広前の灯りを落とし、暗闇の中、ご神前の吊灯籠の温かな灯りがぼんやりと灯ったお広前で、ゆったりとお取次をさせていただきました。
気がつけば3時間ほど、お取次をさせていただいたでしょうか。氏子の意識がたましいの奥深くにいらっしゃった時、神様のお言葉を氏子に取り次がせていただきました。
「神様はあなたに、生まれてきてくれてありがとう…とおっしゃっていますよ(^^)」
その瞬間、氏子の涙がボロボロと流れ出し、堰き止めていた心にたまったしんどいものを吐き出すおかげをいただかれました。
「先生がいるなら、もう少し生きてみようかな…」
そう言いながらはじめてみせてくれた笑顔が、なんとも可愛らしく、私の心はぽかぽかと温まっていきました。
今後は、参拝を続けながら一緒に信心させていただくことを約束させていただき、その氏子は帰路につかれました。
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ご大祭日は、「難儀な氏子を取次助けてほしい」という神様の願いが、より強く現れます。これをご大祭の御比礼(ごひれい)と言います。ご大祭日を迎え、神様のお力が、一層に輝き渡り、めぐりにも打ち勝ち、苦しんでいる氏子を引き寄せてくださいます。
この御比礼について、私の信心の師匠はこう教えてくださっております。
「御比礼をいただくためには、ただただ一生懸命に氏子が助かるために、命を懸けて、命を削って、お取次をさせていただくことです」
言葉にすれば簡単かもしれません。しかし、命を懸けるにしても、命を削るにしても、実際ことに当たるとき、その方法がわからないのです。重く尊い命がかかっていますから、ただガムシャラにお取次をすればいいというものでもございません。
やはり、神様からご神徳をいただかれ、次々と氏子を取次助けておられる信心の師匠に、ご祈念、お取次をいただかなければ、立ち行かない自分であることを改めて思わされております。
半年後の秋のご大祭に向けて、より一層、信心のお稽古をさせていただき、教師としてお育ていただいていきたいと願っております。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川展信
天地金乃神大祭ダイジェスト(令和2年5月31日 金光教平戸教会)
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難儀な氏子に助かってもらいたいと言う先生の切実な思いがどれ程重いのかを我々氏子も知らなければならないと思いました。毎日祈られている自分を知らなくては勿体ないですね。
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こたにひできさん、はじめまして(^^)とてもありがたく拝読させていただきました。私がお話に込めた祈りを、心で拾ってくださり、噛み締めてくださり、とても嬉しくありがたく思っております。こたにさんの思いを聴かせてくださりありがとうございます。細川佳世
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