お供えを包ませていただいている瞬間【コメント3】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。


私が就職のおかげをいただいたのは、私が25歳の時でした。
はじめていただいたお給料は、15万円でした。
           
摂食障害を抱え、人生に絶望していた私が、まさかお仕事ができるようになり、お給料をいただけるなんて!
夢ではないのかと思い、
本当に嬉しくて、嬉しくて、
給与明細を握りしめ、
職場から全力で自転車をこいでお教会へ向かい、
お結界で泣きながら先生に給与明細を見ていただいたことを今でも鮮明に覚えております。
     
      
私はその時、全額を神様にお供えしても足りないと思っていました。
私の命は、先生が命をかけて、助けてくださった命でした。
だから神様へのお礼にいくら積んでも足りないと思ったのです。
   
      
私は一人暮らしをしておりました。
ですので家賃も光熱費もかかりました。
また、過食嘔吐を抱えておりましたので、食料代が膨大にかかりました。
職場でできた仲間と、余暇を楽しみたいとも思っていました。
     
         
お金は必要。でも、どうしても、どうしても、まずは神様にお供えをさせていただきたかったのです。
そんな私は、毎月お給料に手を付ける前に、白い封筒の中にお供えをさせていただく分を入れ、先にお供えをさせていただいたのです。
        
そして残った分を、
自分の生活費にあてさせていただいたのです。
    
       
それから、お仕事も順調におかげをいただき、年々お給料が上がっていきました。
また、転職のおかげもいただき、スキルアップし、役職もいただき、お給料はさらに上がっていきました。
        
私はいつも、お給料の一割をお供えさせて頂きたいと願っておりましたので、お給料が上がっていくことがまた、神様にお供えできる額も上がっていくので、それがとても嬉しかったのです。
        
神様からいただいたお給料の中から、神様へのお礼をさせていただけることが何よりの喜びだったのです。
    
      

    
    
金光教では、神様へのお供えを「御初穂(おはつほ)」や「御献備(おけんぴ)」と言います。
       
「初穂(はつほ)」とは、その年に初めて収穫されたお米のことです。
この初穂は、まずご神前にお供えし、収穫を感謝し、豊作を願う習慣があります。それは広く農作物や魚類にも広がり、現在でも「初物(はつもの)」としてお供えをされています。
現在でもこの習慣は受け継がれており、秋になると「秋祭り」「収穫祭」の名称で全国各地でお祭りが行われています。
       
     
昔の人は、豊作に至るまでの神様のお働きを心から喜び、心から感謝し、その年初めて採れたお米や農作物の一番良い部分を神様にお供えされていたのです。
一年かけて、手塩にかけて育てた農作物を、なによりもまず一番に、神様への御礼にお供えされていたことが伺えます。
        
          
時代とともに、農作物から金銭のお供えに変わっていきましたが、農作物が育つことも、お給料をいただくことも、同じなのです。
神様にお身体をお守りいただき、命をお守りいただき、お仕事と出会わせてくださり、働かせてくださり、すべて神様のおかげであることに変わりありません。
       
         
信心をする人は、収穫の時と同じようにお給料をいただいたら、無事に働くことができたことを心から喜び、心から感謝し、まずは神様にお礼の気持ちをお供えをされてから、そして残りを自分の分とされておられるのです。
       
    

     
       
神様は、氏子がお供えされた財を一粒万倍(いちりゅうまんばい)にして、また氏子に返してくださいます。
一粒万倍とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味です。 
たとえば 一万円、お供えさせていただきたいという真心を、神様は万倍にしてくださり、一億にして返してくださいます。
実際私は、一億円積んでもいただけないおかげをいただきました。
        
それは愛する家族です。
            
お金では買えない、何億円積んでも買えない、
たましいの親(金光大神様)、夫、我が子、氏子、私の大好きな家族をいただいているのです。
どんな大金を積んでも買うことのできない、おかげを神様からいただいているのです。

おかげがほしいからお供えをするわけではありませんが、
結果として、船にも車にも詰めない大御影をいただいているのです。

かつて、摂食障害を抱え、人生に絶望していた私が、
お仕事ができるようになり、
お給料をいただけるようになり
本当に嬉しくて、嬉しくて、
給与明細を握りしめ、
職場から全力で自転車をこいでお教会へ向かい、
お結界で泣きながら先生に給与明細を見ていただき
お供えをさせていただいたあの喜び。
お供えは私のたましいの喜びであることは、今でも変わりません。


今月も、たましいの親(金光大神様)の元へお礼参拝をさせていただきました。そしてお取次をいただき、夫と共に日々命を繋いでいただいております。    

こうして毎月、
いただいたおかげを振り返りながら、
ここまでの命の御礼を申し上げながら、
神様へのお供えを包ませていただいている瞬間、
私はえもいえない幸せを感じるのです。

 

神様への「感謝の気持ち」を忘れてはなりません。

有り難いことを、有り難いこととして、「感謝の気持ち」をどこまでも大切にすることが、人として当たり前のことだと思っております。
   
それを、当たり前のように大切にされていかれる方はみんな、幸せになっていかれることを日々思わせていただいております。 


金光教平戸教会 細川佳世

 

YouTubeでも配信させていただいております。

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