神様へ”祈り”を捧げる吉備舞へ【コメント2】


みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

本日は平戸教会で吉備舞(きびまい)の指導をさせていただきました。吉備舞とは、神様にお供えさせていただく奉納舞(ほうのうまい)のことをいいます。
お稽古をさせていただいたのは小学校低学年の舞人。今回は新しく「八千草(やちぐさ)」という曲のお稽古をさせていただきました。
   
お稽古を始める前に舞人は、お結界に進ませていただき、お取次を願われます。その後舞人と一緒に、神様の御前に正座し、平伏してご祈念をさせていただきます。自然とありがたい気持ちが湧いてまいります。

「今日ここにいる」という喜び。
「お稽古をさせていただけるんだ」という喜び。
「楽しくお稽古ができますように」という願い。
「秋のご大祭で奉納をおゆるしくださいますように」という願い。
     
それぞれに、一生懸命にご祈念をさせていただきます。
  
   
ご祈念の後、さっそくお稽古に・・・といきたいところですが、まずは歌詞を覚えることと、歌詞の意味をしっかりと理解するところから始めさせていただきます(#^.^#)そうでなければ、奉納舞ではなく、ただの舞になってしまいかねないからです。
   
歌詞を何も見ないで言えること。
意味を何も見ないで言えること。
それができてはじめてお稽古に入らせていただきます。
八千草の歌詞の意味は以下でございます。

『私たちは神様をおまつりさせていただき、きれいなお花や、美味しいもの、一生懸命にお稽古させていただいた楽(がく)や舞を、神様にお供えさせていただけることに対して、しみじみとしたありがたい思いがわき上がってまいります』

まるで、神様へのお手紙みたいですね(^^)♪私はこの八千草の曲がとても好きなんです。神様に捧げさせていただくとても純粋な「祈り」が込められていることを感じるからです。
 
 

  
  
「祈り」というのは、神様がおかげをくださると信じて、神様によくお願いして、よく念じて、お取次をいただいて、自ら動いていくということです。
口先だけで行動がなかったら、何も変わりません。祈りというのは、必ず行動が伴うものなのです。
   
吉備舞も同じです。
神様に心を向けさせていただき、神様がおかげをくださると信じて、よくお願いして「一生懸命にお稽古させていただく」という行動が肝心です。
   
思うように覚えられなくてもいいのです。
しんどかったら休んでもいいのです。
お稽古が辛いと泣いてもいいし、集中力が切れてしまってもいいのです。   
ただ、この神様への「祈り」だけは欠かすことができません。
     
大切なのは、綺麗に舞うことだけではなく、上手に舞うことだけでもなく、「祈り」がこもっているかどうかであり、神様が喜んでくださるのは、見た目の美しさ、華やかさではなく、舞人の「祈り」なのです。
  
 

  
 
この度、舞人は、豪雨災害で高速道路が通行止めになっている中にも関わらず、親御さんと共に2時間半かけて、吉備舞のお稽古をさせていただきたい一心で平戸教会へ参拝されました。
     
吉備舞のお稽古中は、私も、舞人も、楽しくてずっと笑っていました♪お稽古しながら笑っているその舞人の笑顔は、「一生懸命にお稽古してるよ(#^.^#)」と神様の前で胸を張っているように見えました。
   
そんな舞人を愛しそうに見つめる神様。
神様が大好きで、神様見て見て!と誇らしそうな舞人。
その場にいられた私は、愛情で心が満たされ、分け御霊さまが癒されていくのを感じていました。
     
舞人の助かりと、信心の成長を願いながら、信心を伝えさせていただけることは、私にとって幸せ以外の何ものでもありません。そんな貴重な時間をいただきましたこと、神様、金光大神様に心から御礼申し上げさせていただきます。
    
金光教平戸教会 細川佳世

 

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松崎信子

吉備舞を通して信心のお稽古なんですね。それにしても豪雨災害で高速を走れない中を!
お母さんもお蔭いただかれてますねぇ。

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細川 佳世

松崎さんこんにちは。はい(o^^o)とてもありがたい時間を神様からいただきました。舞人さんも、親御さんも、私も、共にお育ていただけることがありがたいです。松崎さんありがとうございます。細川佳世

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