なんでも恐れずにやってごらん。それもまた信心のお稽古やで。【コメント2】

みなさまこんにちは。佳世先生です。

ある氏子から「先生!鬱がひどくなってきたのでご祈念してください!」という連絡をいただきました。
ご祈念させていただくことはもちろん大切です。
しかし、このお道の信心は、それだけではございません。
              
「ご祈念」で助かる難儀もありますが、
本当に根深い難儀、苦しみは、「ご祈念」だけでは、どうしても助かってはいかないことを私は身をもって体験いたしました。
      
このお道の一番大切なところは、
前々のめぐり合わせで難儀をしているところを、
お結界の先生に、お取次をいただき、信心の方法を教えていただき、
抱えている難儀をお取り払いいただいて、神様のお徳を感じて、嬉しく楽しく生きさせていただく。
これこそがこのお道の最も大切もところと思わさせていただいております。
    
   

   
    
私が摂食障害で苦しみ、生死をさまよっていたころの出来事です。
「過食嘔吐さえなければ、人生楽しく過ごせる!」と思っていた私は、神様に一心に「過食嘔吐を止めてください!」とご祈念しました。
すると、10年間365日、寝ている時以外は止まったことがなかった過食嘔吐を、数日間ピタリと止めてくださったのです。すごい…!と私は驚きました。
  
     
しかし私は、過食嘔吐が無くなっても、人生楽しく過ごせなかったのです。引きこもるようになり、心は壊れていき、「死にたい」という気持ちと共に暗闇のどん底に沈んでいったのです。
   
     
つまり私は、過食嘔吐があろうと、なかろうと、何かを楽しむということができなかったのです。
何かをすること自体、生きること自体がとても怖かったのです。
「失敗したら…傷つけられたら…」
心配性で、臆病で、怖がりだったのです。
それに心のどこかで「こんな価値のない人間が、何かを楽しんではいけない」と思っていたのです。
   
   

   
     
再び、過食嘔吐が毎日続く中、ある日のお結界で、私の信心の師匠である先生がこのようにおっしゃいました。
       
「佳世さん(^^)何か今、欲しいもんとかないんか?服とかバックとか、何でもええんやけどなあ、なにか欲しいなぁって思うもんないのん?」
       
私はしばらく考え、このようにお答えしました。
        
「先生、過食嘔吐の食材に全財産を費やしている私が、自分が欲しいものにお金を使うなんて許されないと思ってるし、罪悪感しかありません。でも、先生…私はいつもアクセサリーの”ネックレス”が欲しいって思ってるんです」
  
それを聞いた先生は、とても喜んでくださり、にっこりと笑いこのようにおっしゃいました。
     
「ネックレスかぁ、それはええなぁ(^^)そや、今からお出かけして買っておいでよ。ええことやわ。神様もお喜びになるで。もちろん先生も嬉しいわ。ほんでまた夜にお参りした時に見せてくれたら嬉しいわあ」
 
        
私は先生がお取次くださった通り、ネックレスを買いに久しぶりに街にお出かけをしました。そして晩にお参りさせていただいた時、買ってつけてみた胸のネックレスを先生にお見せしました。罪悪感を抱きつつ…
   
    
先生はそれを見て、とっても喜んでくださったのです。
     
「佳世さん、よう買わせてもらえたなぁ。よかったよかった。神様も先生もほんまに嬉しいわあ」
    
そう言って満面の笑顔で喜んでくださったのです。そして続けて先生はこのようにおっしゃいました。
     
「佳世さんが嬉しいと、神様も先生も嬉しいんや。佳世さんがしたいことをしてくれることが、神様も先生も嬉しいんや。これまで、過食嘔吐があってできひんかったこと、なんでも恐れずにやってごらん。それもまた信心のお稽古やで」
   
     
それから私は「信心のお稽古」をさせていただくようになりました。神様、神様、とご祈念しながら、これまで出来なかったことを、神様を杖に、恐れずに飛び込んでいったのです。
  
    
買い物に行く。
ブログを書く。
カフェに行く。
友人とご飯。
飲み会に参加。
DVD鑑賞。
カラオケ。
温泉。
旅行。
勉強。
   
    
それらは、私にとって疲れるばかりで、楽しむことはできなかったけれど、私が抱えていた「心配性で、臆病で、怖がり」な部分を少しずつお取り払いくださったのです。
           
そしてこれまで出来なかったことが、出来るようになっていったのです。
「これまで出来なかったことが、出来るようになる」というのは、大きな自信に繋がっていきました。
          
ある日私は、先生にこのようにお届けさせていただきました。
   
   
「何かを楽しめなくても、喜べなくても、先生がいつも喜んでくださるから、私はこんなにも強くなれるんですね!もっと神様と先生を信じて、したいことを恐れずにやってみたいです。もっと人生を楽しく生きてみたいです。いつも私の背中を押してくださる先生、いつもありがとうございます」
      
それから私は、神様を杖に、楽しむお稽古を毎日繰り返していく中で変わっていったのです。年々、「楽しい!」と思える事が増えていったのです。
       
それは鮮やかなおかげではなくて、一年、五年、十年と、じっくり、ゆっくり、大きくお育ていただいたのです。
そしていつしか、生きることが楽しくて、嬉しくて、仕方がなくなっていて、気付いた時には過食嘔吐もお取り払いいただいていたのです。
    
     
このお道で一番大切なところ。
それは、前々のめぐり合わせで難儀をしているところを、
お結界の先生に、お取次をいただき、信心の方法を教えていただき、
抱えている難儀をお取り払いいただいて、神様のお徳を感じて、嬉しく楽しく生きさせていただくところだと思わされます。
    
      
祈ること、それも大切ですが、このお道の信心はそれだけではありません。
神様を杖に、と言っても、神様は目には見えないから、神様が私に「私にとっての金光大神様」を差し向けてくださったのです。
       
このお道は、
金光大神様にお取次を願い、
信心の方法を教えていただくところから、
真っ暗闇だった道が開けていくのです。
      
そんな一番大切なところを、私に連絡をくださった氏子へ取り次がせていただきながら、「ひとりでは乗り越えられないところを、かよ先生と一緒に乗り越えていきましょうね」

とお伝えさせていただいたのであります
     
神様、金光大神様、ありがとうございました。
    
金光教平戸教会 細川佳世

 

YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。

 

 

           

        

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松崎信子

私も遊んだり、買い物したりはそんなお金余裕も無いし、”贅沢は敵だ!”(ちょっと戦時中みたいな表現ですが(>人<;))
と思い込んでいました。
尼崎教会に参拝させていただくようになって、親先生より、
妹さん達と集まってどこかへ行ったらいい。
食事でもいいから、そんな時間を楽しんだらいいと。
お母さんが嬉しそうにしてると子供達は喜ぶと。
何十年も家事と育児と主人やお姑さんに気を使う生活の中で、自分が楽しむなんて考えたことも考えたこともない私にとって…‼︎‼︎
ああそうなんだ。そういうことも神様は喜ばれることなんだと最近少しずつわからせていただくようになりました。
佳世先生、ありがとうございました????

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細川 佳世

松崎さん、とてもありがたいコメントありがとうございます。
>”贅沢は敵だ!”
私も同じようなことを思って生きておりました。その頃私はとても厳しい世界に住んでいたんだなあと改めて思います。
松崎さんが親先生から頂かれたお取次を読ませていただき、神様の深いご愛情を感じ、胸が熱くなりました。
神様の心の中は、本当に温かい世界ですね✨貴重なお取次の内容を教えくださり誠にありがとうございます。

(Comment via Facebook)

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