仮面と共に生きてきた私【コメント3】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
     
私は小学生の頃、内気で自信が無く、いつもおどおどしていました。
ある男子によるスカートめくりが始まった時、ほとんどの女子が「やめて!」と強く抗議しているのに対して、私は「やめて!」が怖くて言えず、私一人がスカートめくりの対象として残ったのです。
   
毎日その男子を目で追い、背後に立たれないように気を張り、それでも油断した時に被害にあい、恥ずかしさと悔しさで自尊心はズダボロになっていきました。
     
もちろん、こんなこと親には絶対に悟られてはなりませんでした。きっと私に非があると叱られると思っていたし、親をガッカリさせると思っていたのです。その当時はまだ「いじめられるほうにも非がある」という意見が根強く残っていたのです。
  
  
  
   
「変わりたい」と強く思った私は、人と接する時は明るく堂々と演じる仮面をつけるようになりました。
    
学校でも家庭でも、その仮面を外せる場所はどこにもありませんでした。悔しい時も、悲しい時も、いつも笑っている私は、誰からも気づいてもらえず、それは「誰も本当の私を誰も知らない」ということでした。そんな私は透明人間のようでした。
    
しかし、その生きづらさに、自分でも気づいてはいませんでした。
仮面をつけて生きることは、普通のことだと思っていたのです。
誰もがしていることで、誰もが孤独だと思っていたのです。
    
     
ところがそういう生き方を、私のたましいは受け入れてはくれませんでした。
だから、私のたましいは、私にメッセージを送ったのです。
「摂食障害」という形で、私にSOSのメッセージを送ったのです。
  
   
「もっと自分を大切にしてよ」と。
  
   
  
   
19歳の時、私はたましいの親である先生に出会い、お取次をいただくようになりました。
    
ある日私はノートに想いを書きなぐり、先生の御結界に持っていきました。そこにはこう書かれてありました。
     
「全てをさらけ出して助かりたい」
「でも本当の私に自信がない。仮面をはずして、目を開けた時、きっと誰もいなくなってる」
  
  
先生は、にっこりと笑ってこうおっしゃいました。
   
  
「佳世さん、先生はあなたを絶対に傷つけたり、見放したりすることはありません。あなたが仮面をはずして、目を開けた時、神様と先生だけは、必ず目の前にいます。先生を信じれて分だけ、神様を信じる心をお育ていただけます。先生を信じてくれると嬉しいです(^^)」
  
  
私は、先生を信じて、これまでの辛かった気持ちを一つ一つ打ち明けるようになりました。
小学生の時「やめて!」と言えなかった頃のこと。
本当の自分を隠して、いつも明るく振舞ってきたこと。
  
      
顔をぐちゃぐちゃにしながら、大泣きしながら聴いてもらっている私は、やっと本当の自分を見つけてもらえた嬉しさでいっぱいでした。
    
打ち明けるのが怖いことほど、聴いてもらい、受けとめてもらえた時の嬉しさはありませんでした。
    
神様と先生に「本当の自分「弱い自分」を見つけていただいて、
「このままでいいんだ」「弱くていいんだ」「変わらなくてもいいんだ」「ありのままでいいんだ」と思えるようになった時、仮面は必要なくなっていきました。
  
  
 
   
神様、先生に助けられたこの命は、願わくば今、いじめられたり、つまはじきにされたりして、ひとりぼっちでうずくまっている氏子を助けるためにつかわせていただきたいと願っております。 
  
大勢の人に「本当の自分」を知ってもらい、受けとめてもらう必要はないと思っています。たった一人でも「本当の自分」を知ってもらい、受けとめてもらえたなら、生きづらさは無くなっていくからです。それが私の場合、神様と先生でした。神様と先生は私の全身全霊の叫びを、全身全霊で受けとめてくださいました。
    
氏子のそのたった一人になりたいと願いながら、本日も神様に氏子のお引き寄せをご祈念させていただいております。
    
神様、金光大神様、ありがとうございました。
     
金光教平戸教会 細川佳世

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知笑西尾 

佳世先生、展信先生何時も私たち氏子のことを御祈念くださり、ありがとうございます。

私も、幼い頃から、いえ、生まれた時から恐怖と不安に怯えて、それでも、誰かに助けを求める ことすら、誰に助けを求めたらいいのかわからなくて。

誰も、気がついてくれなかった。
そして、いつも、良い子を演じなければと必死だった私です。
佳世先生と同じように。

そして、私もいつしか…。

本当は、まだまだ、魂の親さまである、先生のこと、神様のこと、信じられなくなること、何か騙されてるんじゃないかと未だに思ってしまうことは、まだまだあるのです。
大好きなのに大っ嫌いになったり、
ずっと、ずっと、人を信じる事が出来なかったです。
それなので、自分のことを信じてあげることも出来なかったです。

人との距離の、取り方もわからなくて。

そして、只今信心のお稽古の真っ最中です。

魂の親様である先生に、何時もどんなときも、命を懸けて、全身全霊で、御取り次を頂いて、神様に私の助かりを全身全霊で祈って頂いておりますこと。

血の繋がりもも、何もなかった私のことを。

先生と神様は、私のことを見捨てたりしないこと。
ずっと、見捨てられる不安に怯えて生きてきた私です。
もう、見捨てられることはないのです。
先生と神様とずっと、ずっと、一緒に。

神様が私と一緒に今も泣いてくださっています。
そして、佳世先生、涙雨の後には、神様が虹????をかけてくださるのですね。

佳世先生、ありがとうございます。
生神金光大神様、天地金の神様、ありがとうございます。

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細川 佳世

知笑さんこんにちは。とてもありがたく拝読させていただきました。
知笑さんの、素直で真っ直ぐなところ、心から神様とたましいの親さまを求められていること、その真剣さと強さに胸が熱くなりました。
   
大好きなのに大っ嫌いになったり、信じたいのに疑ってしまうこと。
それほどまでに「信じたい」という強い思いがあることを想い、切ない気持ちでいっぱいです。
そういう知笑さんを、神様もたましいの親さまも、可愛くて愛しいと思っておられるのでしょうね。神様とたましいの親さまと知笑さんの絆の深さを感じます。
     
ここからも知笑さんが、たましいの親さまと共に、神様の道の真ん中を歩まれ続けていかれることを、私も及ばずながら御祈念させていただきます。
大切な想いを聴かせてくださり、ありがとうございます。






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知笑西尾 

金光教平戸教会 佳世先生
勿体なく有り難すぎて、おいおい、ぼろぼろ涙がとまりません。号泣してしまいました。
嬉しくて、本当にありがとうございます。

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