妄想。幻覚。幻聴。現実の温かい世界に連れ出してくださった【コメント2】

みなさまこんにちは細川佳世です。

心に深い闇を抱えて生きていた私が、助かっていく過程の中で、蓋をして閉じ込めていた苦しみや悲しみが強く吹き出してきた時期がございました。
     
それらが目に見える形となって現れたものの一つが、妄想や幻覚や幻聴という症状でした。

現実に起こっていないことでも、今から起こるのではないかと頭に浮かんできては恐怖に怯え、現実に無いものを見たり、現実には聞こえないはすの音を聞いてしまうのです。
   
    
なぜ私は、妄想や幻覚や幻聴という症状に悩まされていたのだろうか。それは私の心の中の「孤独」が見せているものでした。
     
当時の私はこのように思っていました。
「自分は守ってもらえるような存在ではない」
「自分は誰からも必要とされていない存在」
   
そういった「孤独」が妄想や幻覚や幻聴を見せていたのです。
   

ある日、前の前から歩いてくる人の手にナイフが握られているのが見え、私は襲われる恐怖で震えていました。
すれ違い際に、その人はナイフを自分の耳に当てて会話をし始めました・・・私ははっとし、ナイフではなくスマートフォンだったことに気づくのです。

      
また、ある日のことでした。一人暮らしのマンションへ帰宅した時、階段を上がって自分の部屋のドアを開けると、そこに居るはずのない、見知らぬ人が立っていました。
私は、きゃああと悲鳴をあげて、階段下まで一気に飛び降りてしまい、怪我をしてしまいました。
すぐに人を呼んで、一緒に部屋に入ってみると・・・さっき見た人は、そこには居なかったのです。

周りの人は私に呆れ、不審そうな目で見ていました。
「でもさっきまで、居たんです。本当なんです!」
誰も私のいう事を信じてはくれず、誰もが私のことを不安そうな目で見ていました。

しかし、私の目には見えていること、この耳に聞こえていることですから、それを信じてもらえないことは、とても寂しく虚しいものでした。ますます私は、孤独の世界に追い込まれていきました。
          

しかし、私のことを信じてくれる人に出会ったのです。私はその日もお教会にお参りして、御結界にすすみ、私の信心の師匠である先生に、苦しい気持ちを訴えました。

「さっきまで部屋に人がいたけど、急に消えたんです」「刺されて殺されるのが怖いです」

先生は、私の言う事を否定せず、聴いてくださいました。「ええ!それは怖かったなあ」と一緒に驚いてくださり、一緒に恐怖を感じてくださり、一緒に苦しんでくださいました。
「本当に?」と疑われることもありませんでした。
私は、自分が大切にされる世界を知り、救われていきました。 


私はそれからも毎日お参りして、四六時中苦しんでいる怖かった体験を聴いていただきました。時に何時間にもなりました。
自分の苦しい気持ち、辛い気持ちを受け止めてくれる人がいること。たった一人でも自分のことを疑わず、信じてくれる人がいることで、私の中の「孤独」は次第に薄れていきました。

そして、毎日お参りして、先生のお取次を頂いていく中で、だんだんと心の変化を感じるようになりました。
「自分が見ている世界、自分が信じている恐怖の世界」よりも「先生が見ている世界、先生が信じている温かい世界」を、信じてみたいと思うようになったのです。
       
つまり、
「自分は、ひとりじゃないこと」
「守ってもらえること」
「神様と先生に大切にされ、必要とされている存在であること」
そんな温かな世界を信じてみたいと思うようになりました。

少しずつ、少しずつ、長い年月をかけて信じていけるようになり、次第に私が見ていた恐怖だった世界や、物や、音が見えなくなっていきました。
そしてついに、何も見えなくなって、聞こえなくなったのは、私には神様と先生がいてくださるんだと心から感じられるようになった時、つまり「孤独」ではなくなった時でした。
 
    
◯ 
   
  
先生のお取次をいただけなかったら、私は今ごろどうなっていたのだろうと、ゾッとする思いがいたします。
 
ある日、先生が綴られた文章に、このような一文が記されてあるのが目に止まりました。
    
「難儀な氏子を一人助けるためにも、この命を捨てないと助けられないものだ」
    

「難儀な氏子を一人助けるためにも、この命を捨てないと助けられないものだ」

先生が命を削ってくださり、助けて頂いたこの命。
その、御恩をけして忘れてはならないと噛み締めさせていただいております。
そして、信心の師匠である先生に、一ミリでも近づかせていただきたく、今日もまた、苦しんでいる氏子の声に、全身全霊で耳を傾けさせていただきたいと願わせていただいております。


本日も平戸教会のお広前でお待ちしております。
神様、金光大神様、ありがとうございました。

金光教平戸教会 細川佳世
(※お写真は、お参りされた方が送ってくださった、お教会周辺の美しい景色です)
            

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石原香

佳世先生 わたしもいま、夜の恐怖に震え、幻覚は見ないけれど死の恐怖と戦ってます。たぶん、たくさん見すぎてきた肉親の苦しみや死の恐怖がわたしの心を深く傷つけてきたからだと思います。
人間は、病んでいる人といると、どうしても自分も心が病みます。
人には共感する感受性があるからです。その恐怖がトラウマになり夜は、孤独過ぎて襲ってきてしまうのです。ずっとずっと感じてきたわたしの孤独感を癒すものは、絵でした。????????????
絵が無かったらそしてミスドやセブンカフェも癒してくれました。
だけど、過食で癒されたことはありません。苦しくて苦しくて恐怖でしかないです。
わたしを現実の世界に引き戻していただけるもの。それは何でしょうか? 変えることのできない実家の管理 そこに帰らないとならない孤独はなによりも辛いものがあります。
わたしが、必死に探し 出会えた佳世先生。そのことにひとすじの光を感じてこれからも、信心をしたいです。 わたしのことをわかってくださる方が、いてくださること。そして、わたしの孤独感を理解してくださる方が欲しい。いつもそう望んでいます。

お祈りありがとうございます。

石原香

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細川 佳世

香さん(#^.^#)こんばんは。日々、こうして私を信じてくださり、心の内を聴かせていただき、ありがとうございます。メールのほうも、必ず返信させていただきますので待っていてくださいね★少しでも、夜の恐怖が和らぐように、いつも祈っております。

「過食は苦しくて恐怖でしかない」・・・そうでしたね。過食は、苦しくて、恐怖でしかないですよね。私も、神様も、早く香さんを楽にさせてあげたいと願っております。
   
「わたしが、必死に探し 出会えた佳世先生」・・・とても嬉しい言葉です。先生もずっと香さんを探していました。必死で神様に祈りながらブログを綴っておりましたら、神様が香さんに出会わせてくださいました。嬉しかったです。
そして、香さんの命が今ある場所から、最も近い場所にいらっしゃる貴子先生という親さまにも出会わせていただきましたね。ここからも一緒に信心させていただきましょう。
もっともっと香さんのことを、そして孤独感を、分からせていただきたいです。いつもそう思っておりますし、神様にもご祈念させていただいております。細川佳世

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