白猫しーにゃん。神様から頂いた命を全うし【コメント6】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。

みなさまこんにちは。細川かよです。
私が小学生の時に、家にやってきた白猫の「しーにゃん」(ΦωΦ)        
それは夏休みの早朝、姉と弟と三人で眠い目をこすりながら毎日通った「ラジオ体操」の帰り道でのことでした。
一匹の子猫がトコトコと後ろをついてくるのです。
               
毎日毎日、やせ細った身体で鳴きながらついてくるので、きっと野良猫だと思い、私たちは餌を与えるようになりました。
それが何日も続くようになり、「誰かに飼われてしまう前にうちで飼いたい」と両親にお願いし、その日から赤い首輪を付け、うちの家族の癒やしの愛猫となりました。
  
          
それから18年の月日が流れた平成20年の秋。
いよいよ最期の時期を迎えるのです。
           
「先生!しーにゃんが苦しそうです!死にそうです!」
    
私は慌てて、”たましいの親”である先生にお届けをさせていただきました。すると先生は、このようにお取次くださったのです。
 
    
「佳世さん、しーにゃんの御霊さまの立ち行きをお願いしておいてあげてください。精一杯に生きて、安らかなお国替えを願っております」
 
     
私は先生の祈りを感じて心が落ち着き、しーにゃんがまだ息をしている時から、「亡くなってからの御霊さまの立ちゆき」を願わせていただくようになりました。
そして、
その祈りが神様に届き、しーにゃんはとっても安らかにお国替えをされたのです。
  
    
  
     
私から見て、一番しーにゃんを溺愛していたのは、父でした。
しーにゃんも、一番父に懐いており、父の腕の中や膝の上が、しーにゃんの指定席のように子どもながらに感じていました。
           
一方で母は、どちらかというと、しーにゃんに対してクールに見えました。抱っこしたのを見たことが無いし、いつも「毛がつく、毛がつく」と、コタツで寝ているしーにゃんを、ひっぱって外に出すのです。
私は、「お母さんは、しーにゃんのこと可愛くないんだ…外は寒いのにしーにゃんが可哀想!」と子ども心によく思っていたのです。
   
      
ところが、しーにゃんが亡くなった時、
母はしーにゃんを抱きしめ大泣きしていたのです。
          
亡くなった日の夜もずっと「まだ生きてるみたい…」と、しーにゃんを撫でながら側から離れず、悲しみに暮れて泣いていたのは母でした。
     
亡くなってからも、洋服や布団から出てくるしーにゃんの毛を、「あ、しーにゃん!」と、とても愛おしそうに毛を拾い、大切にしている母の姿を何度も見かけました。
    
     
私は気付いたのです。
「母にとってしーにゃんは、可愛くて、愛しくて、かけがえのない存在だったんだ…」と。
                 
そんなしーにゃんが選んだ最期の瞬間は、母の腕の中でした。
しーにゃんの小さな頭がカクンと母の腕にもたれた瞬間を今でも鮮明に覚えております。
 
ふと、
そのしーにゃんの姿を、私に重ね合わせ、もし私が死んだら母は泣いて悲しんくれるのだろう、と思ったのです。
すると、幼い頃から感じていた母に対する空虚感が、じんわりと満たされていくことを感じていました。
 
  
  
    
私は、”たましの親”である先生にお届けをさせていただきました。
   
      
「私は子どものころからずっと、母に撫でてもらいたかった。抱きしめてもらいたかった。でも母はそれをしてくれず、私は大人になってからもずっと満たされず、寂しかった。虚しかった。苦しかった。 
けれど、しーにゃんを抱きしめて大泣きしている母を見て、「そういう母なんだ」と腑に落ちました。     
母は、私に対して愛情が無かったわけでは無かったんですね。
愛情があったけど、表すことができなかったのですね。
だから私はこんなに寂しい思いをして難儀になっていたのですね。
私は、母から愛されていたのですね。
かけがえのない存在だったのですね。
そのことを、しーにゃんを通して感じることができたこと、神様に御礼申し上げます」
     
       
先生はにっこりと笑い、とても喜んでくださいました。
その頃の私は「もう一度、肉親の親である母と向き合いたい」と思い、信心のお稽古をさせていただいている最中でした。どうしても、「私は愛されていた」ということを感じたいと思っていたのです。
       
ところが、母とどれだけ話し合っても、頭で「愛情」を理解することはできるけど、心で実感することができませんでした。そんな中で神様が、しーにゃんを通して教えてくださったのです。
      
そうやって一度は諦めていた「母からの愛情」を、もう一度願っていく勇気をいただいたのは、
”たましいの親”である先生に出会わせていただき「何があっても私はもう、ひとりぼっちにはならない」という安心感があったからなのです。
  
   
   
     
しーにゃんがお国替えされてからちょうど10年が経ちました。今の今も、しーにゃんは生きており、私の側で、母の側で、ウロウロしていることを感じております。
            
 
もうすぐ「春季霊祭」ですね。
            
私は毎年、春と秋の霊祭を迎える度に、しーにゃんの事を思い出し、過去の自分の生い立ちや、ここまでいただいてきたおかげを振り返る機会をいただいております。
そして振り返ったここまでのおかげを喜び、神様に御礼を申し上げることを大切にさせていただいております。
      
本日は、平戸教会にて「春季霊祭」の準備をすすめさせていただく中で思い出したしーにゃんのことをつづらせていただきました。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
 
金光教平戸教会 細川佳世

YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。

https://youtu.be/ge6kA8pewGA

コメントはありません

曽我部 章一郎

僕の父が生前、「教会に御参りに行ったら、たまーに、親先生の代わりに、シロさんが御結界の椅子に座って、御迎えしてくれたぞ。堂々と、しとったのう。」と、言ってました。

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

章一郎さん、そんなことがあられたのですね!しーにゃんは亡くなる直前、ヨタヨタと足を引きずりながら初代先生の奥津城まで行き、芝生の上で倒れました。神様に、初代先生に、章一郎さんのお父様はじめ参拝者の皆様に、可愛がられていたしーにゃんは、とても幸せだったと思います。心温まるコメントをありがとうございます。

(Comment via Facebook)

返信する
西尾知笑

佳世先生、おはようございます。

今朝、佳世先生の投稿を読ませて頂いて、涙が滲んで胸がぎゅうって、なりました。

自身の生い立ちと重なるところ や、ここまで、魂の親様である先生に、神様に慈しんで、限りない愛情を注いでもらったこと思いだし、こうつづりながらも泣けてきてしまいます。

そして私は、こうして佳世先生にも、助けて頂いて、お守り頂いて、癒して頂いて、お陰を頂いておりますこと、ありがとうございます。

そして、今日も新しい1日が始まります。
可愛いい子どもたちが待っていてくれています。
お仕事、行ってきます(*^_^*)

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

知笑さん、コメントありがとうございます。お仕事の前に私の投稿を読んでくださり、そしてご自身の生い立ちや、ここまでのおかげを振り返り、お礼を申し上げられ、それから、今日という一日をスタートされた知笑さん。ありがたいです。もう一日のおかげが、神様から約束されているようなものですね。

>そして私は、こうして佳世先生にも、助けて頂いて、お守り頂いて、癒して頂いて、

勿体無いことです。
私もこうしておかげ話を聴いて頂けて、とれも嬉しいですし、幸せです????ありがとうございます。

(Comment via Facebook)

返信する
石原香

佳世先生 おはようございます????
しーちゃんの旅立ちのお話 素敵ですね。お母様との愛情の再確認のお話。わたしは、自分の母が大好きでした。かなりのマザコンでした。わたしにとって太陽のような存在であり、わたしの家の柱で、不甲斐ない父を支え、弟も母が大好き。明るく活動的でいつも、楽しかった。
わたしは、充分な愛情を感じていました。ただ、家庭の中は、幼少期は父のギャンブルなどのことから、喧嘩が絶えずわたしは、不安だった記憶もあります。そのことから、わたしは、親に迷惑をかけない良い子として、勉強やら、アルバイトに頑張る子供となり、いろいろな自分の希望を我慢する子供になりました。
割合引っ込み思案でおとなしく天然なところが、みんなから愛されて中学の頃からは、お友達も多くなりましたが、結構傷つきやすい子供時代でした。小学校の時はいじめにも良くあいました。母が大好きなわたし。介護がはじまってからは、母のために自分を犠牲にしても一生懸命に介護して、いろいろなところに母を連れていきました。
愛されていたことは、充分感じられるけど、傷つきやすい心も持ちつつ、自分をきちんと表現したいという、そんなことをいつも感じながら大人になり、喧嘩は嫌い、平和主義でストレスも溜まりやすい介護生活
旦那に対しても、言いたいことも言えず、言っても何も聞いてくれないという、失望感の中、さみしさ から摂食障害に。わたしが旦那からの愛情をしっかり確認できるようなことが今後あるのか? 介護の過程でそこに傷ついていることは確かです。
心の傷とは、一緒に暮らせるはずの家族が離れ離れになり、自分ひとりでは、ご飯を作る気持ちにもなれず、さみしいと感じると甘いものが食べたくなり、夜が一番さみしいと感じ、過食したくなる病。
たくさんの友達がいても、その介護の渦中での心の傷つきがわたしを苦しめています。
しーちゃんの話、お母様は佳世先生を愛していたけど、忙しかったりして表現出来なかったのですね。
すごくわかります。
わたしの心もお取り次ぎをいただくなか癒され、たくさんの愛情を感じ、この症状が治っていくことを願ってます。いつも、お祈りありがとうございます????

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

香さん、今日も生きていてくださってありがとうございます。よくぞ生きて、あの日佳世先生に連絡をくださいましたね。改めてそう思いました。
香さんの心の中には、もっともっと心にたまっているものが、あると思います。もしかしたら気づかない間に、傷ついていることもあるに違いありません。そういうことも含めて、お結界で先生に聴いていただくのです。
今、香さんは日々甘えるお稽古をされてますよね。でもついつい遠慮してしまうこともありますよね。なかなかできないからこそ、できるように願って、お稽古を続けさせていただくのです。今は、目に見えて大きな変化は無くても、先で振り返った時に必ず摂食障害の症状は良くなっております。メールも、香さんの絵も、いつもありがたく拝見させていただいております。

(Comment via Facebook)

返信する

石原香 へ返信する コメントをキャンセル