長年の病を克服された氏子【コメント4】

みなさまこんにちは細川佳世です。
本日はとてもありがたいお届けがございました。
ご本人のご了承をいただき綴らせていただきます。
       
この方は長い間、日常生活もままならないほど、重い心の病を患っておられました。しかし、尊きご神縁をいただかれ、救いを求めてお取次をいただくようになりました。
その方が本日、とても嬉しそうにこのようにお届けされたのです。
   
「先生、”治さないといけない”という考えを手放しました」
          
そうお届けされるその雰囲気は、とても穏やかで、自然体で、本当に嬉しそうなんです。そして「これからは、病を治すことより、自分のしたいことをしていきたい」とおっしゃり、病と戦っていくだけの人生よりも、病を抱えながらも「自分らしく生きていくこと」を願われはじめたのです。
         
そこに、これまでの不安や恐怖の影は、少しも見られませんでした。
   
  
  
    
この方はどうして、重い心の病を抱えながらも、こういう心持ちになれたのだろうか。
それは、その方が「自分はこのままでいいんだ」と受け入れることができたということでした。
   
周りの人みたいに働けなくても、
やりたいことが何もできなくても、
誰かの役に立たなくても、
何もできなくても、
     
そんなことは自分の価値とは無関係であり、
自分は神様から尊い命をいただいた、
尊い存在なんだと悟られ、
心が和らいでいかれたのです。
      
つまり、和らいで、喜んでいかれる心に神様が作り変えてくださったのです。
   
   
 
  
私は、心の問題にとって、こういった”和らぎ喜ぶ心”になれることが一番大切であることを思います。
     
けして、パッと変われたのではありません。
いくつもの段階を踏んでこられたからこそのことなのです。
長年染み付いた心の癖はなかなか手放せません。
お仕事のことも、友達付き合いのことも、家のことも、家族のことも。
    
「こうしないといけない」
「こうせねばならない」
   
そういった心の癖を手放していくことは本当に簡単なことではなく、だからこそどんな時もお取次をいただかれ、お結界の先生と一緒に自分を見つめていく「自分の時間」を大切にされてこられたのです。
         
けして、ひとりで抱えず、吐き出し、自分をさらけ出し、時には何時間でも聴いていただいて、受けとめていただき、神様の御心を聴かせていただく中で、
「私はこのままで愛されているんだ」
「私はこのままでいいんだ」
と感じられるようになっていかれたのです。
    
  
改めて思います。        
「治さないといけない」という心が、どれだけこの方の心を苦しめていたのだろうかと。
それは、治らないことを否定することであり、それは自分自身を否定することであり、苦しくなるばかりであっただろうと思わされます。
   
  
  
   
どんなに神様が素晴らしくても、
どんなに私が一生懸命にお取次をさせていただいても、
本人が助かりたいと願い、神様の手を掴み、お結界に進み、自分をさらけ出していかなければ、助かる道はなかなか開けてはこないことを思います。
この方は、いよいよ、自分をとりまくしがらみを断ち切ろうと決心され、神様と先生を頼りに生きていく道を決断をされた結果が、こうして“和らぎ喜ぶ心”として現れ、ご自身を救い助けられたのでございます。
       
              
「これからは、病を治すことより、自分のしたいことをしていきたい」
そうおっしゃる、キラキラと輝いている命。神様にとって、私にとって、大切で愛しい命。私はこれからも一生、この方が「自分らしく生きていくこと」を祈り支えさせていただきたいと願っております。
         
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
(※写真は平戸教会前の通りの景色です☺️)

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石原香

佳世先生こんにちは????
この方も、治さないといけないと言う思いを手放されたんですね。
わたしは、手放すというよりも諦めたという感じですが、病に囚われるよりも、好きなことをしています。
いまから、桜を見に行きます。
体調は、一進一退を繰り返しています。貴子先生かしたら、過食と言えるような量しゃないと言われますが、わたしにしたら精神疾患は間違いないです。
だけど、こうして仕事が出来ること、桜を見に行けることに感謝しています。昨日も、イオンのお仕事の新人さんにわかりやすくお仕事を教えることができました。
わたしにとり、食後の甘いものと一杯のコーヒーは、癒しの時間であり必要なものでした。
それをあっさりとやめることの出来る友人が羨ましく、自分はなんてダメな人間なんだろうと自分を責めていましたがそれをやめました。
だからといって、病のままでいたいわけでもないし、苦しいし、助かりたいと思います。
だけど、それよりもいまは、自分の好きなことをしたり、行きたいところに行くことを優先。
そして、幸せになる。
いまを大切に過ごします。
桜の花も、毎日お天気により状態を変えていきます。
わたしも、ものことに囚われずにいまを大切に生きます。
いつもお祈りありがとうございます。
石原香

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細川 佳世

香さんこんにちは。

>病に囚われるよりも、すきなこと

すばらしいですね。信心のお稽古をはじめられて一年が過ぎましたね。一進一退を繰り返しながらも、参拝とお取次をいただきながら、神様を杖に、少しずつ香さんらしい人生を歩ませていただいておりますね。
そんな香さんを見ていると、先生もとてもありがたく、嬉しくなります。

過食、毎日苦しいですね。香さんの過食の苦しみを、先生はいっ時も忘れたことはありません。だからこそ、香さんがお仕事ができたり、桜を見に行けたり、絵を楽しんだり、食後の癒しの時間を楽しめたり、そういったことが本当に嬉しくて、いつも神様にお礼申し上げさせていただいております。

>いまを大切に生きます。

大切なことですね✨すばらしいです✨
香さんも一生懸命、先生も一生懸命、「今」を大切に生きさせていただきたいです。本日も平戸教会のお広前からご祈念しております。

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替え歌太郎

治さなければいけないという考えを捨てたというの、なるほどと思いました。
なにかの考えに縛られていたところを、捨てることで心が自由になるのだなと感じ、とてもいい話でした。

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細川 佳世

「なるほど」「とてもいい話」・・・とても嬉しいお言葉を頂きありがとうございます。
替え歌太郎さんのおっしゃる通りなんです。幸せの絶対条件は、病気が治ることではなく「幸せだなぁ」って感じる心があるのかないのかです(^^)いくら病院に行ったとしても、これらの問題は解決できません。
大切なのは、幸せを感じる心を育てること。
ただ、すぐには身に付かないですから、日々お教会にお参りしながら、お取次いただきながら、「幸せを感じる心」を神様に育てていただくことを大切にしております(^^)コメントいただきありがとうございます。

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