お手引き〜神様に助けていただいた者としての使命〜

みなさまこんにちは。細川佳世です。

人の命は、人を助けて喜ぶ命になっているんだなあと日々感じております。先日、平戸教会にお参りされた氏子がこのようにお届けされました。
           
「佳世先生、友達が心も体も壊され、とても苦しんでいるんです。なんとかその子を、このお広前に連れてきてあげたいんです。私のように、その子にも助かってほしいんです」
               
その氏子本人だって、今の今も心に深い苦しみを抱えておられます。けれども、苦しんでいる人を見て助かってほしいと願うその氏子のたましいは、とてもキラキラと光を放っていました。
あれが欲しい、これが欲しいという願いも、もちろん大事ですが、「人を助けたい」というその願いは、神様の願いと一致するので、急速に、思ってもみない速さでおかげを頂けます。なんとその日の晩、氏子からこのようなお届けがございました。
      
「おかげを頂きました!その友達から連絡があり、明日会うことになりました。教会のこと、これまで自分が助けていただいた道のりを、その子に話してみようと思います」
     
氏子は、神様から頂いた自分の使命を全うしようと真剣でした。       
私も、苦しんでいるその方がなんとかお広前にお引き寄せを頂かれるよう祈りながら、今日も御結界に座らせていただいております。 
      

    
私が大学生の時のお話です。  
私は高校生の時から不登校で、大学生になってからも心に壁を作ってしまって、人間関係にひどく悩んでいました。
そんな時、ある大学の友人と仲良くなりました。私はその友人から悩み相談を受けていましたが、私と一緒だ〜!ってくらい自分と似ている境遇の子で、意気投合し、一緒に買い物に行ったり、食事に行ったりする仲になりました。
   
その子はとても傷つきやすく、いつも人の顔色ばかり見てビクビクして苦しんでいて、でも心はとっても繊細で、優しい子で、私も大好きでした。
ある日その友人が、過去のことを私に打ち明けてくれました。その過去があまりに辛かったのでしょう、話の途中でうまく息ができなくなり、激しい過呼吸になりその場にバタンっと倒れてしまいました。
  
私はびっくりして、すぐに大学の保健室に運び込みました。
横になって休んでいるその子の顔を見ながら私は、「かわいそうに・・・」「私に何ができるだろう?」「どうしたらこの子を助けてあげられるだろう?」と考えていました。   
この先、私がずっと話を聴いてあげたところで、私はただの人間。少しの間、寄り添い支えてあげることができても、私だっていつ倒れてしまうかもしれない弱い人間です。この子を生涯支え、助けていく力なんてあるはずもありません。    

しばらく悩んだ私の心に、一つの答えが浮かび上がってきました。
「この子を神様のところに連れて行ってあげたい!神様に助けていただいた私がこの子と仲良くなったのは、とても意味があることなんだ。きっとそれが私の使命なんだ!」

友人の体調が少し良くなってきたので、車椅子に乗せて大学内を散歩しました。

「うまく伝わるかな?」
「どう思われるだろう?」
「迷惑がられないかな?」

その時の私には、そのような事を考える余裕さえ無くなっていました。ただただ、「友人を助けたい!」と、心の中にはそれしか無かったのです。それに、私は自信がありました。私が助けるわけじゃなく、「神様と先生が必ずこの子を助けてくれる!」という自信があったのです。       
神様!神様!神様!そう心の中で祈りながら、私は車椅子を押す手を止め、友人に言いました。 
      
  
「実は私ね、毎日お教会にお参りしてるんだ。それで、教会の先生に話を聴いてもらってるんよ。
誰にも話せないこと。日常の辛かったこと。しんどかった過去。どんな内容でも親身に聴いてもらえるから、いつも泣けるんだ。ついつい何時間でも喋ってしまうくらい居心地がいいんだ。
それで先生が、どうしたら楽になれるかを具体的に教えてくれるから、私は心の病を乗り越えられたし、ここまで元気になったんよ。
ねえ、今度私と一緒にお参りしてみない?教会の先生はね、いっつもニコニコしてくれて、何を言っても優しいよ。だからうまく話せなくっても大丈夫だよ(#^^#)」
    
 
友人は、少し不安そうな表情で、でも笑顔でコクリと頷きました。その数日後、二人で教会へ参拝させていただくことになり、友人は先生のお取次をいただかれました。そして参拝の帰り道、私に嬉しそうにこう聴かせてくれました。
       
  
「佳世、今日は教会に連れてきてくれてありがとう。こんなに涙が流れたのは、生まれて初めてだったよ。
すごい心がすっきりしたから、今は痛かった体も不思議と楽になってる。
話を聴いてくれた先生、めちゃ話しやすかった〜!誰にも言えないことを話してしまったよ!もちろん佳世にも言えないことだよ(^_-)-☆今日は本当に本当にありがとうね。またお参りさせていただきたいな」
     
 
私は、嬉しくてたまらなくなり、泣きそうになりました。その子の背中を撫でながら、「私のことを信じてくれて、こちらこそありがとう」と言いながら涙が流れていました。      
   
それから私は、自分の使命を感じるようになっていきました。その使命とは、神様に助けていただいた者としての使命。一人でも多くお教会に「お手引き」をさせていただくことでした。そうさせていただかないと、心がソワソワと落ち着かなくなっていったのです。
    
「お手引き」とは、その名のとおり、難儀で苦しんでいる方の手を引き、お教会に連れ立ってお参りをさせていただくことです。
お参りさせていただくまでに、自分が助けていただいた喜びをお伝えしたり、お取次が頂きやすいように準備を整えたり、参拝の礼儀作法や、神様へのお供えの仕方をお教えすることもございます。そして参拝後は、感想を聴かせてもらったり、その方の助かりを願ってずっと祈り支え続けさせていただいただいたりします。
   
私の大切な友人。
大切な家族。
バイト先の仲間。
みんな幸せになってほしい!!
「神様!神様!この方をどうか、お広前に連れて行ってあげてください」と祈りながら、声をかけさせていただきました。
  
当時の私は、このお手引きが喜びでした。自分では到底、人を助けることなどできません。でも、人を助けたい!   
でも、私は神様でもないし、教会の先生でもない・・・
それでも、人を助けたい!そう願う私に残された唯一の、人を助ける方法。それがお教会への「お手引き」でした。
   
ここでいう”人を助ける”というのは、誰かに優しく接するとか、肩をかすとか、そういう意味ではなくて、過去の私のように、今日の命もわからない、今まさに”生きるか死ぬか”という難儀にもがき苦しむ方の命を、全身全霊で受けとめることを指します。
        
過去の私は、自分が教会にお参りしていることを人に話すことが出来ませんでした。「あの時もし、話せていたら・・・あの子は助かったのかもしれない・・・・」「ああしておけばよかった。こうしておけばよかった」と、これまで後悔をたくさんしてきました。その後悔した日々を、この先もずっと忘れることはございません。
   
人間はみな神様の氏子。可愛いお子様です。
みんな、助からなくてはならない人ばかりです。   
生きている間に、神様の愛を身にいっぱい受けて、幸せになってもらいたいです。
    
もうすぐ10月ですね(^^)来月は、もっともっと人が助かる御用をさせていただけますようにと願っております。人の命は、人を助けて喜ぶ命になっているんだなあと日々感じております。
   
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世

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