人生は何度でもやり直せる〜苦しみの先に助かりの道が見える〜

みなさまこんにちは。細川佳世です。
ある日の平戸教会のお結界で、初参拝の氏子がこのようにお届けをされました。
      
「私はもうこの年で若くもないし、夢も希望もありません。いつ死んでもいいと思っています。でも、もし、神様が一つだけ願いを叶えてくれるのなら、人生をやり直したいです」
    
そう言いながら氏子の目には涙がたまっていました。その心の辛さや苦しみが私の心に伝わってきて、私も涙が流れそうになりました。人生を、やり直したい・・・それはかつての私が、ずっと願っていたことでした。
   
私は、小学生に戻って、いや高校生でいい、あの頃に戻って人生をやり直したいと思っていました。あの頃の私は、人と比べてばかりで、優越感にひたったり、劣等感に苦しんだり、毎日がその連続で心が疲れ果てていました。ついには体も心も壊し、心の病になり、過食嘔吐を繰り返すようになり、日常生活が営めなくなりました。
私の人生こんなはずじゃなかった!私はただ、普通に食事して、普通に生きたかった。できるならあの頃に戻って、もう一度人生をやり直したい・・・そう思ってずっと後悔に苦しんでいました。
    
しかし、このお道に出会い、私は生まれ変わったのです。教会にお参りして、信心の師匠である先生のお取次を頂くようになって、私は生きる意味を見つけることができ、人生は何度でもやり直せることを知ったのです。
     

  
ある日の信心の師匠のお結界で、私は泣きながら訴えました。   
    
「先生!私は過食嘔吐があるせいで、何もできません。外食もできないしお出かけもできない。私はただ、普通に食事をして、普通に出かけて、普通に生きたかったです」
    
先生は、私の苦しみに、何度も何度も深く頷きながら、寄り添ってくださいました。そして、とても優しい眼差しでこのようにお取次をくださいました。 
      
「佳世さん、過食嘔吐があるせいで何もできないというけれど、過食嘔吐があっても、したいことをしていけたらなあ。うまくいくとか、いかんとか、失敗したらとか考えんと。したいことを恐れずにやっていけたら、人生楽しいやろうなあ」
       
そんなことができるはずがない!と思いながらも、私は深く考えるようになりました。   
私が本当にしたいことは何なのか。自分のたましいが喜ぶ生き方はどれなのか。これから何を願って生きていきたいのか。そうやって自分の心に寄り添い、自分のたましいの声に耳を傾けるようになりました。
毎日欠かさず参拝して、お取次を頂き、自分の成長を願い、信心のお稽古をさせていただきました。
   
お取次を頂くようになって15年の月日が流れた頃、ある日、私の中に一つの願いが浮かび上がってきたのです。私は、過食嘔吐を抱えながらも、自分のしたいこと、つまり「神様の御用をさせてください」と願い始めたのです。
そうやって、自分が選んだ自分の人生を、誰の顔色もうかがわずに願いはじめたその時から、信じられないことに過食嘔吐の症状は少しずつ落ち着いていきました。
  

    
これからの人生を素晴らしいものにしたいならば、今を素晴らしいものにすること。未来は現在の積み重ねである、ということを信心の師匠から教えていただいております。

私は今では、このお道の教師として、 神様の願いである「人を助けること」に生きています。それが、私としては今一番したいことで、今一番尊いことと感じていますし、 人を助けることに携われることが、今一番幸せだと感じているからです。今を大切にさせていただいたら、この先も素晴らしい人生になることと確信しています。
  
私が信心の師匠である先生出会い、15年かけてお取次を頂いてきたその至高のおかげは、人生の意義を見つけたことでした。生きる意味を見つけた時、人生は何度でもやり直せるんだと知りました。 
 

 
ある日、平戸教会のお結界で、初参拝の氏子がこのようにお届けをされました。
    
「私はもうこの年で若くもないし、夢も希望もありません。いつ死んでもいいと思っています。でも、もし、神様が一つだけ願いを叶えてくれるのなら、人生をやり直したいです」

私は、氏子の手をとって、このようにお伝えさせていただきました。
   
「まだまだ人生は始まったばかりですよ。 これからの人生は、今の自分のあり方で決まるんです。 この先、いい人生にしていくためには、今を大切にすることが一番なんです。 今、一番何がしたいですか?どこへ行きたいですか? 誰に会いたいですか?誰と話したいですか?誰と手を繋ぎたいですか?」
    
氏子はしばらくうつむいたまま、涙を流されながら、今自分がしたいこと、会いたい人のことを、話してくださいました。そして、たくさん涙を流され、たくさんお話しされ、お取次の最後には笑顔を見せてくださいました。
     
「佳世先生、今からでも、もしできるのなら、もう一度人生をやり直してみたいです」
   
そう言いながら泣いておられました。悲しいから泣いておられるのではなく、たましいが喜んでおられるのです。


  
悩んだり、考えたりすることは、時に苦しいものです。「考えないでおこう」とするのは簡単ですが、でも、大切なことは悩まないといけないし、考えないといけないし、苦しまないといけないのです。
   
答えを出すのに、どれだけ時間がかかってもいいのです。早く楽になりたいと思ったら、焦らないこと、急がないことが大切です。

私は長い年月をかけて、悩んで、苦しんで、人生の意義を見つけることができました。お取次を頂いていなかったら、きっと一生見つけることは出来なかったと思います。信心の師匠がいつもお取次くださり、寄り添ってくださっていたからこそ、できたことです。

答えがなかなか出てこなくても、どうか諦めないでください。より良い人生のためだったら、いくら悩んでも悩みすぎということはございません。
一人で悩み苦しむのは、苦しいし、なかなかできないことです。だからこそ、お取次を頂きながら、神様と先生に付いていていただきながら、一緒に、悩んで、苦しんで、考えて頂き、一緒に答えを出させていただきましょう。その先に必ず、助かりの道が見えてきますよ。

本日も、神様のお広前で待っています。神様、金光大神様、ありがとうございました。金光教平戸教会 細川佳世

 

 

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