みなさまこんにちは細川佳世です。
心に深い闇を抱えて生きていた私が、助かっていく過程において、これまで蓋をして閉じ込めていた苦しみや悲しみが強く吹き出してきた時期がございました。
それが目に見える形となって現れたのが、妄想や幻覚や幻聴でした。
現実に起こることのないことが頭に浮かんできては恐怖に怯え、
現実に無いものを見てしまい、
現実には聞こえないはすの音を聞いてしまうのです。
精神状態としては、どっぷり浸かってはおらず「自分はおかしいんじゃないか?」と自覚している状態でありました。
とはいえ、なぜ、
現実に起こることのないことが頭に浮かんできて恐怖に怯え、
現実に無いものを見てしまい、
現実には聞こえないはすの音を聞いてしまうのか?
それは私の心の中の「孤独」が見せるものでした。
全ては「孤独」が見せるもの、聞かせるものでした。
「自分は守ってもらえるような存在ではない」
「自分は誰からも必要とされていない存在なんだ」
そういった「孤独」が、妄想や幻覚や幻聴を見せていたのです。
◯
ある日一人暮らしのマンションへ帰宅した時、階段を上がって自分の部屋のドアを開けると、見知らぬ人が立っていたのです。私は悲鳴をあげて階段下まで一気に飛び降りて怪我をしてしまいました。
すぐに人を呼んで来て、部屋に入ってみると・・・誰も居なかったのです。周りの人は私に呆れ、不審そうな目で見ていました。
「でもさっきまで、人が居たのに・・・」
誰も私のいう事を信じてくれませんでした。
みんな口を揃えて「それは妄想だ!」「それは幻聴だ!」と言うのです。実際はそうなのですから、当然のことです。
しかし、私には実際にこの目に見えているし、この耳に聞こえているのですから、「私にとっての現実」を、誰も信じてくれないことで、ますます「孤独」へと追い込まれていきました。
◯
けれど、私の信心の師匠である先生だけは、私の言う事を信じてくださいました。
先生は、「そんな事は現実に起こってない。それは妄想だ!」なんて一言もおっしゃらず、私がこの目で見た「恐怖」と、この耳で聞いた「恐怖」に、ただただ寄り添ってくださり「辛かったなあ」「怖かったなあ」と信じて聴いてくださいました。毎日。何時間でも。何年でも。
私は、信じてくれる人がいることで、次第に「孤独」は薄れていきました。そしてある日、「あれ?私が間違っているのだろうか」と気づいたのです。妄想の世界にどっぷりと浸かりそうになっていた私が「あれ?」と思えたのは、すごく大きな変化でした。
その頃の私は、お取次をいただく中で、「自分が信じている世界」より「先生が信じている神様の世界」を信じてみたいと思っていました。
「自分は守ってもらえること」
「命をかけて守ってもらえること」
「神様と先生に必要とされている存在であること」
そんな温かな「先生が信じている神様の世界」を信じていくようになり、少しずつ、少しずつ、恐怖だった世界や、物や、音が見えなくなっていきました。
そしてついに、何も見えなくなって、聞こえなくなったのは、「孤独」ではなくなった時でした。
◯
先生のお取次をいただかなかったら、私は今ごろ狂気の世界にどっぷりと浸かり、二度と戻ってこれなかっただろうと思い、ゾッとする思いがいたします。
狂気の世界へ向かう電車に乗って走っていた私を、誰もが「それは妄想だ!」と叫びながら眺めていました。
けれども先生は、自らの命は顧みず、走る電車に一緒に乗り込み、寄り添い、一緒に恐怖を感じてくれて、共に苦しんでくださりながらも、現実の世界にグイッと引っ張て、電車から下してくれたのです。
だから私は今、「自分が大切にされる世界」で生かされており、安心と幸せが目の前にあるのだということを、改めて噛み締めさせていただいております。
◯
「難儀な氏子を一人助けるためにも、この命を捨てないと助けられないものだ」とおっしゃっておられた先生。
自分の命を削り、寄り添い続けてくださった先生。私は、その先生の御心に一ミリでも近づけるようにと願いながら、未熟な自分であることにお詫び申し上げながら、それでも、
神様の御用にお使いいただきたいと願わせていただいている日々でございます。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
(※お写真は、お参りされた方が送ってくださった、お教会周辺の美しい景色です✨)


■共感してくださった方はボタンのクリックお願いします。
引き続き執筆させていただく励みになります
YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。
佳世先生 わたしもいま、夜の恐怖に震え、幻覚は見ないけれど死の恐怖と戦ってます。たぶん、たくさん見すぎてきた肉親の苦しみや死の恐怖がわたしの心を深く傷つけてきたからだと思います。
人間は、病んでいる人といると、どうしても自分も心が病みます。
人には共感する感受性があるからです。その恐怖がトラウマになり夜は、孤独過ぎて襲ってきてしまうのです。ずっとずっと感じてきたわたしの孤独感を癒すものは、絵でした。????????????
絵が無かったらそしてミスドやセブンカフェも癒してくれました。
だけど、過食で癒されたことはありません。苦しくて苦しくて恐怖でしかないです。
わたしを現実の世界に引き戻していただけるもの。それは何でしょうか? 変えることのできない実家の管理 そこに帰らないとならない孤独はなによりも辛いものがあります。
わたしが、必死に探し 出会えた佳世先生。そのことにひとすじの光を感じてこれからも、信心をしたいです。 わたしのことをわかってくださる方が、いてくださること。そして、わたしの孤独感を理解してくださる方が欲しい。いつもそう望んでいます。
お祈りありがとうございます。
石原香
(Comment via Facebook)
香さん(#^.^#)こんばんは。日々、こうして私を信じてくださり、心の内を聴かせていただき、ありがとうございます。メールのほうも、必ず返信させていただきますので待っていてくださいね★少しでも、夜の恐怖が和らぐように、いつも祈っております。
「過食は苦しくて恐怖でしかない」・・・そうでしたね。過食は、苦しくて、恐怖でしかないですよね。私も、神様も、早く香さんを楽にさせてあげたいと願っております。
「わたしが、必死に探し 出会えた佳世先生」・・・とても嬉しい言葉です。先生もずっと香さんを探していました。必死で神様に祈りながらブログを綴っておりましたら、神様が香さんに出会わせてくださいました。嬉しかったです。
そして、香さんの命が今ある場所から、最も近い場所にいらっしゃる貴子先生という親さまにも出会わせていただきましたね。ここからも一緒に信心させていただきましょう。
もっともっと香さんのことを、そして孤独感を、分からせていただきたいです。いつもそう思っておりますし、神様にもご祈念させていただいております。細川佳世
(Comment via Facebook)