みなさまこんにちは。細川佳世です。
私は高校生の時からずっと不登校で、大学生になってもそれは変わらず続いていました。
今日も大学に行けなかった・・・こんな私のこと、みんなバカにして笑ってるんじゃないか? 学費を払ってくれている親に失望されているんじゃないか?大学の先生も、友人も、大学に来てほしいと願っているのに、私はまたそれに応えらず、裏切って、迷惑かけて、みんな呆れているんじゃないか?一歩外に出ると、みんなが私のことを見て笑ってる気がして、外に出るのも怖く、日々苦しんでおりました。
世界にひとり取り残されたように感じていた私は、誰かにこの辛さを分かってもらいたい、聴いてもらいたいと思っていました。
そんな私は、お教会にお参りして、しんどい気持ちをお結界の先生に聴いていただくようになりました。
やっとのことで大学に通えたり、通えなかったりの日々を過ごせるようになってきました。
そして、もっともっとお教会へ参拝してお先生の取次頂くことを大切にさせていただこうと思い、救いを求めて教会のすぐそばに引っ越してきました。
お結界の先生は、いつも優しく温かいお姿で私の話を聴いてくださいました。そして、神様からご覧になった時に、どうしたら助かるのか、どうしたらもっと幸せになれるのかという筋道を教えてくださいました。
「佳世さん、毎日よう頑張ってるなあ(^^)今日も大学に行けんかったんやなあ。それは辛かったなあ。でもね、無理に頑張ろうと肩肘張らずなあ、のんびりと、焦らずに、肩の力を抜いて神様にお願いさせていただこう。自分の心は、自分ではどうしようもないからなあ。自分でどうにかしようと頑張ると、変に力んでうまくいかんかったりして、余計に追い込んでしまうからなあ。
こういうのはな、焦らずゆっくりが一番なんやで。佳世さんのペースでええんや。神様と先生は佳世さんの頑張りを知ってるんやから、それで周りがどう言おうと放っておき(^_-)」
私は目からウロコでした。私は私のペースでいいんだ・・・先生に教えて頂いたことを紙に書き出して、目に見えるところに貼りました。そして、毎日先生のお取次を頂いて、それを心の支えにして、信心のお稽古させていただきました。周りがらどう思われてようと、何を言われていようと、神様と先生だけは味方であることを毎日自分に言い聴かせて、信じるお稽古をさせていただきました。
ある日のこと。先生のお取次を支えに、勇気を出して大学行きのスクールバスに飛び乗りました。
大学の先生、友人の姿を見た時、怖くて怖くて仕方がなかったのですが、勇気を出して友人に手を振ってみました。そしたら「あれ、佳世来たてたの?ご飯一緒に食べよ〜(^^)」と、こちらが拍子抜けするような、思いもよらない言葉が返ってきました。
実際はどう思われているのかなんて分かりません。裏で何を言われているのかは分かりません。笑われているのかもしれません。
それでも、神様と先生だけは私の味方なんだ、私はひとりじゃないだと、そう思えたのです。
友人とおしゃべりをしながらご飯を一緒に頂き、そんな時間を久しぶりに過ごした私は、なんだか清々しく、周りの景色も綺麗で、世界が変わったように感じていました。
帰り道、お教会にお参りして、今日の出来事を先生に聴いていただきました。そして、「もっともっと前向きになりたいです」と、お届けさせていただきました。
すると、先生はこのようにお取次くださいました.
「そうやねぇ。前向きになれたらいいねえ。でもね、今日みたいに、大学に行ってみたらそこまで怖くなかったでしょ?
それは周りが変わったんじゃなくって、佳世さんの心が前向きになったから、世界が変わったんですよ。
体を前に向けると、心も前に向くんやね。体を前に向けないと、心も前に向かない時も、あるんよね(^^)」
私はまた、目からウロコでした。いつも私は、心が元気になったら大学に通える、頑張れると思っていました。しかし、いくら休憩しても、いくら待っても、心は元気になりませんでした。
もし、心にばかりとらわれ続けていたら、私はきっと一生動けなかったと思います。一生引きこもっていたかもしれません。でも、お取次を頂きながら、神様と先生に支えていただきながら、勇気をだして体を前に動かすことによって、私の心は前に向いたのです。
心が動けば、体が動く
体が動けば、心が動く
どちらも本当のことなんだなあって、実感したのです。
◯
お取次を頂くと、こうやって「今の私」にとって必要なことを教えてくださいます。そして、一人一人に合った、幸せになる道筋を教えてくださいます。
「体を前に向けると心も前に向くんよね」
この日のお取次を、私は今の今も大切にさせていただき、日々信心のお稽古をさせていただいております。
この天地の間を生きる自分という人間のことを、しっかりとお取次をいただきながら教えていただき、よく自分を知り、教えていただいたことを生活の中で実践をさせていただくことを「信心のお稽古」と言います。私も、ここからももっともっと人が助かるような御用が出来ますように、信心のお稽古に励ませていただきたいと思います。
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
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