幸せってなんですか?【コメント2】

みなさまこんにちは🌸細川佳世です。
ある方がお結界に進まれこうおっしゃいました。
    
「先生、幸せってなんですか?」
   
「そうですねえ(^^)幸せってなんなのでしょうねえ(#^.^#)先生にとっての幸せは・・・」
   
そんな会話をさせていただきながら、私はもう一度、自分にとっての幸せを噛みしめ、お話しさせていただく貴重な時間をいただきました。
  
  
私は過去、重い心の病を抱え、難儀の渦中でもがき苦しみ、毎日が生き地獄でした。苦しい。寂しい。虚しい。死にたい。そんな気持ちが消えた日は、一日たりともありませんでした。
   
私はそういった真っ黒でドロドロとした気持ちを、言葉にして吐き出すためにノートを綴っておりました。
そしてその、ありのままの気持ちが綴られたノートを、お結界(悩みを聴いてもらう場所)に持っていって、先生に見て頂いて、苦しい気持ちを神様に引き取っていただいておりました。
  
その時の、何十冊にもなったノートは、助けていただいた今でも私の宝物として大切に残してあり、今も時々見返すのです。
  
       
「先生、苦しいよ」「先生、死にたいよ」「先生、助けてよ」つい先日、そんな心の悲鳴がびっしりと綴られているノートを改めてぱらぱらと見返しておりました。
その時私は、ある一文に目が止まったのです。そこには、このように書かれてありました。
  
『先生、先生は幸せですか?私は、先生に出会えたことだけで、世界一の幸せ者だと思います』
  
その一文を目にした時、過去の私は生き地獄の中にも「幸せ」を感じていたことを改めて知ったのです。
 
  

  
  
私にとって幸せとは。
それはやはり、過去のノートからも分かりますように、けして「難儀が無くなること」ではありませんでした。
私にとっての幸せは、難儀の渦中でもがき苦しむ中でも、自分のことを理解しようとしてくださって、何時間でも話を聞いてくださって、いつも寄り添ってくださって、絶対的な味方になってくださる「たましいの親」がいてくださったことでした。
    
『先生、先生は幸せですか?私は、先生に出会えたことだけで、世界一の幸せ者だと思います』
   
私はそのノートの一文を目にしながら、今も変わらない思いでいることに気づかされ、私にとっての幸せをもう一度噛み締めさせていただきました。
  
  

   
  
「先生、幸せってなんですか?」
    
そう私に聴いてくださる方に、私にとっての幸せを聴いていただきながら、この方がいつか心から「幸せだなあ」と感じられるように神様に祈らせていただきました。
    
「幸せ、一緒に見つけていきませんか(^^)ひとりじゃ見つけられなくても、神様と先生が一緒なら、必ず見つけられますよ(^O^)」
     
これからもこの方のたましいの声に寄り添わせていただき、何があっても絶対的な味方にならせていただき、「たましいの親」となって親神様のご愛情を伝えていけるよう、もっともっとお育ていただきたいと願っております。
      
神様、金光大神様、ありがとうございました。
金光教平戸教会 細川佳世
(※お写真は、お参りされた方が撮影された、お教会近くの公園です✨)

■共感してくださった方はボタンのクリックお願いします。
引き続き執筆させていただく励みになります にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ  

YouTubeでも配信させていただいております。少し内容が違います。

コメントはありません

石原香

佳世先生こんにちは
わたしも、ありのままのわたしを受け入れて下さる佳世先生と貴子先生と出会えて幸せです。????????
わたしの苦しみに寄り添って下さる一番の味方。
世界中の誰が敵であっても、佳世先生と貴子先生と神さまだけは、わたしの味方でいてくださる。
弱さも儚さも、全て丸ごと受け入れてくださる存在。
わたしが甘えることが出来る存在です。
とても、繊細で傷つきやすいわたしは、今までにその繊細さから病となり、治せない自分を責めては自分を傷つけてきました。
そしてその思いから、絵を描くことに打ち込み。
だけど、全ての頑張り過ぎは無理へとつながります。いろいろなことをストレスと感じることが多くなってしまったわたしは、その症状として病が出てしまう。
わたしには、どうしようもないこととして、二件の家の片付けがあり、親として、妻として、嫁として、職業婦人としていままで精一杯頑張り
結果疲れてしまい、こんな病に。
溢れ出る寂しさや虚しさから、過食してしまっているわたしを娘は少しも責めることなく、昨日も娘に愚痴を言うと、お母さんの辛さをお父さんもお兄ちゃんもわかってあげたらいいのにね と言ってくれました。
佳世先生がおっしゃるように病は、自分で治そうとしても治らないものだからです。
ただ、娘が佳世先生や貴子先生のように、わたしのこの病について少しも責めることなく、優しく受け入れてくれていることがほっとすることであります。
心の力が抜けるときわたしは、楽な気持ちになります。わたしは、わたしでいいんだという、そういう楽な気持ちに。
いまは、病であることで自分が維持されている部分もある。だから、心の負担を少しでも軽くして、病を見守って行きます。
いつも、お祈り下さってありがとうございます。

(Comment via Facebook)

返信する
細川 佳世

香さん(o^^o)香さんが、私や貴子先生と出会えて幸せと言ってくれること。甘えることができる存在だと言ってくれること。こんな至らないところも多々あるたましいの親でもいつも頼ってくれること。私は本当に幸せだなあって思います。

思えば一昨年の12月から、日々欠かさずメールでお取次をいただいてこられましたね。飯田教会への月参拝も、ここまで欠かさず続けてこれましたね。香さんが一生懸命に神様を信じようと努力され、信心してこられたからこそ、今の幸せがあるんですね(o^^o)

香さんが今日も生きていてくれること、そのことだけでいつも私を喜ばせてくださいます。摂食障害が治っても、治らなくても、関係なく、この先もそれはずっと変わりません。

>病であることで自分が維持されている部分もある。

おっしゃる通りですね!とても大切なことに気づかれましたね。
この先も一緒に病を見守って行きましょう。私も、貴子先生も、何があっても香さんの味方です。責めたり、傷つけたり、見放したりすることはけしてございません(o^^o)今日もご祈念させていただいております。細川佳世

(Comment via Facebook)

返信する

細川 佳世 へ返信する コメントをキャンセル