「死にたいと思っていた私が、こんなに幸せに」 Yさん 女性 50代 福岡県

Yさん、初めてお参りされてから早くも一年が経ちましたね。毎月何があっても欠かさず、お参りを続け、お取次を頂いてこられましたね。車で三時間以上もかかかるところからの参拝ですから本当にすごいなあって思っています。思えば一年前のあの日、一本のメールから繋がりメールやLINE交換を続けてきましたね。当初はとても辛くしんどい気持ちを抱えておられたけれど、お参りするようになって少しずつ楽にしていただくおかげを頂いてまいりましたね。実際に教会に参拝してみて、佳世先生に会ってみて、いかがでしたか?初参拝の感想も含めて、今感じていることを聴かせてくださると嬉しいです(#^.^#)

佳世先生

Yさん

これまで色んな人から利用され裏切られ傷つけられてきました。私は、それはきっと私が悪いからだと自分に言い聞かせてきました。

でも、ちょうど去年の今頃の事です。心身共に深く傷を受け心えぐられるような仕打ちを受け、初めて人を憎むという感情を覚えました。それ以上にもう疲れ果て死んでしまいたいと真剣に思い、どうしたら死ねるのかを調べていた時に、偶然佳世先生の事を知りました。

金光教平戸教会。『金光教』この文字を見た時に私の心がざわざわっとしたのを覚えています。何故なら私の家は祖母の代から金光教の氏子だったからです。でも、私は母の信心に反発するかのように信心をする事なく生きてきました。しかし、死んでしまいたいと思って行き着いたところが平戸教会の御広前でした。

 

初めて平戸教会にお参りさせて頂いた時の事は忘れません。

場所がわからず展信先生に駐車場までお迎えに来て頂き、お教会の御広前まで行かせて頂くと、それだけで胸がいっぱいになりました。

神様にお参りさせて頂き、お結界に進ませて頂くと、佳世先生が優しくニッコリ微笑んで下さって『初めて会った気がしないね。良くお参りでしたね』と言って下さり私は涙を流したのを覚えています。

 

佳世先生はいっぱい泣いて良いよ。何でも話してねと言って下さり、私の話をうんうんと聞いて下さいました。そして色んなお話をして下さいました。

私はその時、辛くてしんとがった心を優しく抱きしめられたような気がしてホッと安堵したのを覚えています。

 

佳世先生の元へお導き下さった神様に心から感謝をし、これから佳世先生が言われるように信心のお稽古をしっかりさせて頂こうと思いました。

それから毎日のように佳世先生にLINEでお届けさせて頂き、佳世先生は毎日ご祈念下さり、今日までの命の繋ぎのおかげを頂いています。

 

佳世先生はいつも「今日も生きていてくれてありがとう」とおっしゃって下さいます。私は今まで、私が生きている事にありがとうと言って下さる方は居ませんでした。

私は今、何があっても神様、佳世先生と心で繰り返します。いつも私を良い方へとお導き下さりお助け下さる神様と佳世先生に全てをお任せしています。

 

私のお届けを佳世先生がお取り次ぎ下さりご祈念下さっているので、私は日々沢山のおかげを頂き、有り難くて有り難くて感謝の気持ちでいっぱいです。去年の今頃、本当に死にたいと思っていた私が、今はこんなに幸せいっぱいに生かさせて頂いています。神様、佳世先生ありがとうございます🙇‍♀

Yさん、聴かせてくれて嬉しいです。一言一言がありがたくって、何度も拝読させていただいております。

Yさんは去年の今頃、「どうしたら死ねるのか」とネットで調べておられたのですね。そして気づいたら私にメールをし、気づいたら平戸教会へたどり着いていた。不思議ですね。

それから一年経った今、「幸せいっぱい」とおっしゃるYさん。その変化に驚きを隠せません。

 

人間の力では、どうにも動かしようもない、そういった苦難な状況や現実でさえ、信心させていただくと変化していくのですね。それは天地自然の四季の移り変わりのように、ゆっくりとゆっくりと、でも着実に。そして、最初は気づきにくいことでも、一年経って振り返ってみると、その変化は歴然なんですね。はっきりと目に見えて変わっていくのですね。   

この一年Yさんと共に、辛い時は一緒に悲しみ、嬉しい時は一緒に喜び、いつもいつも一緒に生きてきて、そのことを強く思わされております。そこには、「助かりたい」「自分も、家族も、大切な周りの人にも、幸せになってもらいたい」というYさんの思いの大きさ、ぶれない強さ、そして「Yさんを助けたい、幸せにしたい」という神様の強い力があってのことと、心から喜ばせていただいております。

 

私も、Yさんと出会った日のことを今でも鮮明に覚えております。初めてお会いしたYさんは、お結界でずっと涙を流されておられましたね。悲しみの涙というより、安心の涙といいますか、きっとYさんの分け御霊様(たましい)が、「もう大丈夫。神様が助けてくださる」と感じておられたのでしょうね。現実は苦しい状況であっても、分け御霊様が安堵されたのでしょうね。

 

涙を流されながら帰られる後ろ姿を、「もう、Yさんと会えないのではないか、これきりなのではないか」という不安な思いと、いやいやまた神様が必ずお引き寄せくださると信じ、祈りながら見送らせていただいたことを今でもよく覚えております。

しかしそんな私の不安とは裏腹に、続いて、二度目、三度目と、今日まで参拝を続けてこれたことは本当に嬉しく、ありがたく、神様のお力だなあって思っています。

 

家から「神様お願いします」と祈ることと、わざわざ三時間かけて足を運んで「神様お願いします」ということとは、やっぱり目に見えておかげの大きさは違ってきます。それは、神様にお供えさせていただく「真」の大きさが違いますからね。

死のうとしていたYさんが、今では「幸せいっぱい」とおっしゃるほどに、大きなおかげをいただけるのも、深く納得です(#^^#)

Yさん、今日も生きていてくださって本当にありがとう。毎日伝えたいです。

どうぞここからも、何があっても、神様と先生と手を繋いで、ずっとずっと一緒に生きていきましょうね。

佳世先生

 

Yさん

佳世先生、ありがとうございます。初めて平戸教会にお参りさせて頂いたあの日の帰り、展信先生が「神様からのおさがりです」と佳世先生が書かれた御本を駐車場までお持ち下さった事、私も凄く感謝しながら受け取ったのを覚えています。

なぜなら最初に佳世先生の事を知った時に、その御本をインターネットで購入しようとしたのですが私は不器用なので購入する事が出来なくて佳世先生にメールをしました。

 

お教会に入らせて頂いた時にもその御本が目に入りました。佳世先生とお話させて頂いて帰る時にもその御本に目が行きました。

その御本を、帰ろうと車に乗った私に展信先生がお届け下さった時に、神様はお見通しだなぁとまた涙したのを覚えています。

 

その日、家に帰って拝読させて頂きながら、佳世先生に出逢わせて頂いた奇跡、私を生かそうと神様が佳世先生の元へお導き下さったおかげに、今はただただ感謝の思いでいっぱいで毎日を過ごさせて頂いています。

今までの人生でこんな幸せな日が来るなんて思ってもいませんでした。

神様が私を助けたく思われて、佳世先生の元へお導き下さったお働きに心から感謝していますと共に毎日私の命の繋ぎをご祈念下さっている佳世先生に心からお礼申し上げます🙇‍♀

神様の想いと、Yさんの想いが尊く、拝読させていただきながら感動で胸がいっぱいです。私の本をインターネットで購入しようとされてたのですね。でもなぜか出来なかったのですね。神様はなんでもお見通しなんですね。聴かせていただき驚きを隠せません。

初参拝のあの日、Yさんが帰られた後、「私の本をお渡ししたかったなあ」と呟くと、展信先生が、「今ならまだ間に合うかもしれないからお渡してきます」と走って駐車場へ向かわれたことを覚えています。無事にお渡しできたと聞いて、本を通してYさんと深く繋がれた気がして、とても嬉しかったんですよ。

インターネットで購入されるより、御祈念をさせていただきながら、祈りのこもった本を直接お手渡しできたことは、私にとっても何よりの大きな大きなおかげでした

 

さて、ここからもっともっと、神様はYさんにおかげを授けたいと願っておられます。Yさんが今、大切されている人たちのためにも。Yさんがこれから出会う大切な人たちのためにも。

神様のおかげは底なしです底があるのは必ず氏子の側です。神様のおかげを受け取る器を、一年、一年、大きくお育てをいただいていきましょう。

佳世先生

Yさんは、「前の私みたいに苦しんでいらっしゃる方や、死にたいと思っていらっしゃる方が、1人でも多く信心の道にお導き頂かれ、今の私みたいに幸せに日々を過ごして頂ければ私も幸せ」と言われながら感想を書いてくださいました。

ご感想をお聴かせください

実際に参拝してみて思ったこと、佳世先生に会ってみて思ったこと、どんなことでも聴かせてください。お送りいただいた感想を佳世先生が読ませて頂いた後、ご本人に確認の上で箱庭に掲載させていただきます。匿名希望の場合は、その旨を「内容欄」にお書きください。

現在掲載させていただいている方々は、「助けていただいたお礼に」「同じ病で苦しんでいる人に助かってほしい」「苦しんでいる方のお役に立ちたい」という、それぞれに神様への祈りを込めてご投稿くださいました

 

 


 

 

 


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